薄くなった体で

体が薄くなりました。寒さで余計に身に染みます。
体の中央に寒気が伝わる感覚。

胃は相変わらず痛いです。性格には胃の回りの筋肉です。肋骨周り、脇腹すべて薄くなりました。

痛みと寒さが伝わります。レキソタン5mgをまた常用しています。

耐えるのは無意味だと悟ったからです。

ベンゾの中枢神経破壊作用で体が薄くなっているのなら、断薬すべきかもしれません。

しかしもう耐えるのは辛いだけで生きた心地がしないのです。

レキソタン5mgを朝昼か昼夕の2回、多い時は朝昼晩の3回のみます。
そうして体の痛みを少し麻痺させると動けるのです。

動くと気がまぎれますから、自宅の掃除ばかりやっています。

大掃除のレベル。断捨離も兼ねています。売れそうなものはAmazonに出品。

こうした活動が10日続いているので、周りからは元気になった、電話でも「声が元気」などと言われます。
確かに動けるようになりましたが、食欲は無く、いつも心窩部がキリキリと痛み「胃がんではないか?」と思うほどです。

そうした病気の不安とこのような体で50(歳)の坂が見えてきました。

後悔がわくのです。同時に自分の道と志を妨害したマスコミや自治会への怒りが沸き起こり
ツイッターで毒を吐き散らかすのです。

いわゆるヘイトかもしれませんが、理不尽な思いをさせられた被害者です。加害者は罰せられていない。
犯罪を憎むことが世に言うヘイトなのでしょうか?

奇妙な話ではありませんか。
そもそも憎しみの感情の無い人間などいません。そのような社会はありません。

愉快犯的な意地の悪さで自分の魂を汚すことは良くありませんが、これをヘイトというのなら別です。
しかしこれは個人の内心の問題。良心の問題で他人がとやかくいう筋合いはありません。

あるとするなら、そのような言動をとる人に助言する言葉でいいでしょう。

しかし今のヘイトと呼ばれる言動は内心の問題です。

理不尽な思いをさせられた、被害を受けたものが病苦と貧乏への怨嗟の声を上げているのです。

自分が反省して治せるよう努力してもそれでもなお、明らかに原因が他者にある場合、それは怒りと憎しみになります。

こうした負の感情は良くないとされていますが、怒りと憎しみが沸き起こるのなら、まだ生きている証拠。
生きる力があるのです。

マイナスの想念を持ちながらも病気と貧困に立ち向かおうとするといわゆるヘイト的な言動が出てしまうのです。

しかしそれは個人の深い反省に基づくもので責められるほどのものではありません。

人生長く生きるほど、自分の失敗と愚かさとともに、明らかに他者から受けた虐待行為の実像が浮かび上がるのです。

そして正しき怒りの感情を建設的なことに換えることができるのです。

私が筋肉と胃の弱さに悩まされながらも毎日家事を頑張れるのはこうした怒りの感情が正しい形で出てきている証拠なのです。
決してレキソタンンの力だけではない、「義憤」が私を支える力になっているのです。

今自分は生まれて初めての弱さの中で生きています。精神的にも後悔と嘆きの連続です。

吹けば飛ぶような体と心で40代後半。人生終わった感があります。

ただ何かに立ち向かおうとする気概が出ているのです。

この気持ちが体に反映され筋肉と力強さの回復につながればと乞い願うのです。

失敗と後悔ばかりの人生。今からでも少しは人間らしさを維持向上させたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴