心折れてます

毎日毎日居宅での痛みに耐える生活。レキソタンの増減を気にしながらも、
レキソタンの鎮静効果にすがる自分。

せめて食生活の改善をはかるべく出汁をとって料理を工夫したり、アミノ酸等添加物を避けています。

また食事は一日二食。プチ断食で胃腸を休めています。

腸内環境をよくするため、「スイマグ」という下剤をのんで便通の改善をはかっています。

栄養を中に取り入れることより、食品添加物や食事そのものといった毒素を体内に取り入れない。

昔の仙人、僧侶のような生活です。

食欲も睡眠欲も性欲も途切れたので、本物の僧侶に近い感じです。
煩悩がありません。

強いていうなら過去の後悔、自責、嫉妬といった情念が煩悩として残っています。

動物的な欲望が無いのは本当に辛い。
確か仏教の教えでも動物的な欲望まで否定しない。

「煩悩即菩薩」と悟りの前提とされています。

つまり煩悩や動物的欲望は悟りの前提条件。

しかし今の自分にはそれがない。人間でも動物でもない存在・・?

不思議な気分に襲われます。

ただ人間性、人格の向上、過去の教訓を生かし日々に生かす、こうしたごく月並みな向上心で日常を保っています。

精神的には成長が見られていますが、「根源的な生命力」が欠けています。

これはある意味致命的だと秘かに危機感を抱いています。

何をするにも無味無乾燥。生命の潤いが体内にない感覚。

心の砂漠。

このような日常が続くとさすがに心が折れます。

良くないとわかりつつレキソタンの増量。少しばかり攻撃的になっていることを自覚しています。

本当に向精神薬は動物として人間としての重要な本能を枯らしてしまう悪魔のクスリなんだと痛感しています。

しかしあきらめません。ほんの1パーセントでも生命の泉が体内のどこかに存在するのなら、
時間とともに湧き上がるはず。

人間の体は未知です。たとえ筋委縮の恐怖があろうとも、
今こうして意識があり、歩いて風呂に入ることがあできる。パソコンの前に向かうことができています。

腹部の痛みは相変わらずですが、食事は一日2回、物理的に受け付けます。とても小食になりましたが、
それでも食べ物を受け付ける。

最低限の生命力は残っているようです。

このかすかな生命の力にかけたい。

自然治癒力ともいいます。

どこかで好転反応があるはず。

たとえ向精神薬で枯れた体でも復活の源泉はあるはずです。

周囲の力を借りながらも生きるだけ生きていこうと誓いを新たにしました。

いつも応援してくださる読者の方のお蔭です。
本当にありがとうございます。

皆様の減断薬のヒントになる情報をこのブログから拾っていただければ幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう