もう諦め半分です

不規則な生活です

非常に不規則な睡眠リズムで生活しています。レキソタンはあくまで精神安定のため。
今ではQOLを上げるためのクスリにはなってません。
これは私の服薬の仕方が良くないのでしょう。

のんだり飲まなかったりの繰り返し。

今では耐性がついてしまいました。精神状態も不安定でツイッター中毒になるなど
最低限の生活リズムさえ整いません。

筋肉減少(萎縮とは思いたくない)は固定化。

今さらどうしようもなく痩せた筋肉と強張った体で家の中をウロウロし、訪問介護、看護を待って
精神の安定にしています。

向精神薬が原因ではなく家庭環境の変化という急激な変化が慢性疾患の原因であると信じたいのです。

これにはどこか精神薬を肯定しそれを以ってQOLの改善をはかりたいといいう潜在意識的な欲求があるからです。

それでレキソタンを肯定するブログ記事やツイッター投稿を眺めたりするのです。

結局どうしたいのか?

こう問われそうですがわかりません。断薬派、服薬派、頓服派などクスリに対するスタンスは
今ではさまざまです。

ベンゾジゼピンという成分名を知った人はほとんど断薬派になっているようです。

私もそうしたいです。しかしあまりに長期に飲み過ぎ、また加齢によるストレス疾患など重なり原因結果がまるでわかりません。

40代ながら毒親問題もあります。

もういい歳です。あまりに年齢が重なり、かつ歳月が流れ過ちに気づいても修正ができないのです。

2015年にある消化器内科医に言われた言葉を思い出します「キミは心療内科の領域!(クスリを)減らそうと思うな!」

今から考えればそれで良かったのかもしれません。
セルシンを削らず一生のんでおけばよかったのかもと。

レキソタンにしてもそうです。

ブログ経由で電話いただいた方にもそう言われました。

もうベンゾジアゼピンという物質から逃れられないのです。

断薬に成功しても長くて4か月程度しかもちません。短くて5日です。

今はレキソタン単剤ですがいつまで続くかわかりません。

もう精神医療の罠にはまりあし抜けができないのです。

福祉の力も一時的で継続的た安心にはつながりません。(それでもあるのとないのでは全然違いますが・・・)

クスリを断って健康・・というわけにはいかない現実を突き詰められます。

家族からも精神的に見放され、今は一族の恥です。

社会的にも実質消された状態です。

ここから這い上がるには相当の知恵と覚悟、ある種の幸運が必要になります。もちろんお金もです。

40代後半、何もかもが遅すぎる状態で障害がある。これで人並みの収入など無理です。

30代ああいておけこうしておけばという悔恨の情に支配されます。

ほんの少しの過ちで人生が狂いました。なにも悪いことはしていません。

薬をのんだり、社会に迎合できないことがそれほど悪いことなのでしょうか?

わたしより社会性の無い人なあど山ほどいます。

もう大人しくレキソタンを増量してあわよくばQOLが高まればそれが本望なのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございます。

<追記>

ツイッターを控えます。当分の間、やめてもいいかもしれません。情報源にいいのですが、
投稿が多すぎブログがメインなのに本末転倒に気づきました。
誤字脱字も少しずつ編集します。

これからブログをメインに注力します。よろしくお願いします。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴