「栄養の吸収代謝が阻害?!」
食べても身につかいない状態を想像できますか?
筋萎縮の進行がゆっくりすすんでいます。食べて栄養を筋肉に届けるべく
食事をまめに摂っています。しかし体内に吸収される感覚がなく、
食べても食べても身につかない状態。
もちろん食べ過ぎは良くないのでその辺バランスをとっていますが、
代謝が悪くなっているので身につきません。
外見上の痩せは誰から見てもわかるようになり、看護師から指摘。
訪問理容師の女性の方からも「顔痩せましたね」と言われました。
私の脳裏には、下山日記の主さんの記事が浮かびました。
このまま全身が干からびて痩せて死ぬ出ではないか?という内容に戦慄を覚え始めています。
本当に何が原因かわかりません。
とにかく少しでも食べることと、レキソタンを夕方飲むことで
筋萎縮の進行が止まることにかけています。
この3年多くの方にレキソタンを戻すようにアドバイスされていました。
「症状を止める」という意味において間違いではありません。
しかし私はもっと根源的に体を立て直したい」という願望があり、
断薬にもあと一歩ですので意地になるのです。
全く以って断薬のタイミングがわかりません。そして筋委縮の進行の行方が気になるのです。
暑さと筋委縮が同時進行
7月も半ばになり、暑くなってきました。今年はこれまでの離脱経験になかった体温の正常化で
体表面は前年に比べ良くなっています。
しかし痩せ=萎縮が進んでおり、この状態で暑い夏を迎えようとしています。
心配なのは脱水状態です。水を多めに常備しています。
食欲がない時は水を飲むことで暑さと筋委縮をやり過ごしています。
この先どうなるかわかりません。ただ祈るような気持ちで筋萎縮の進行が止まるのを待っています。
もうかなり痩せ=萎縮したので自然回復力で体力がついてもいいものを思うようには進みません。
水を飲んでも体内に吸収される感覚がなく、まるで内臓に穴が開いているかのような奇妙な感覚もあります。
実際内臓には問題がないようですが常に違和感がつきまといます。
萎縮した筋肉は薄くなっており、行動機能が制限され、食事の時間もバラバラです。
脳の神経伝達物質の乱れがベンゾジアゼピン系向精神薬の離脱で生じているのならやはり
再服用のステイも柔軟に考えなければなりません。
しかしまたどこかで断薬を続行しなければ耐性もつきます。
痩せは腹部中央に胃痛とともに進行。痛みが治まれば筋萎縮がすすみ、
筋萎縮がすすんだ後は痛みが再発する。
胃の回りの毛細血管の巡り又は神経が回路が乱れているのを実感します。
一日何とか耐えているのですが、このまま持つわけがなくただ回復か自らの人生の幸運を祈るような
気持ちになっています。
終わりが見えません。
大人しくレキソタンを15mg?
戻したほうがいいのかもしれません。
暑さがこれから本格化してくるなかで筋委縮の進行とどう対峙するか
堂々巡りの思考が続きます。
2000年にレキソタンを始めて飲んだ時は肩こりが主訴でした。ベンゾジアゼピンの筋弛緩作用に注目し自ら求めたのです。
のむと元気になるような感覚になりました。コリはほぐれるというより緩むという感じです。
しかしクスリをのんでいないと「こる」ので常に、「治るまで飲み続けよう」と医師に追加処方を頼みました。
レキソタン2mgから5mg朝夕2回に。さらに不眠ということでロヒプノールを追加されました。
(両方ベンゾジアゼピン系薬剤です)
これは最悪でした。治りもしない「肩こり」のためにレキソタンをのみ、眠れもしないのにロヒプノールをのむという選択は
逆効果でただ依存し、意味不明な怒りや判断ミスさえ起こりました。
脱抑制による常識はずれな行動や重要なチャンスを見逃すという自滅行為。
今から考えるとクスリの作用にほかなりません。
クスリをのみながらも自覚していたからです。「このクスリは人格を変える。今の私は20代までの私ではない。
西洋医学の勝利」など。今から考えるとそれが間違いで自滅行為だと気づかされます。
ベンゾジアゼピンは本当はのめばのむほどコリが酷くなり、のむほどに眠れなくなる本末転倒なクスリに依存していたのです。
愚かしい。嘆かわしい限りです。
禁断症状と後遺症。
服用中に失ったものの多さと禁断症状と後遺症での苦しみ。
飲み始めの頃の期待と希望は裏切られ、もともとあった健康的な肉体も失い障害福祉の身となりました。
すべてでたらめ、本末転倒なのです。
ベンゾジアゼピン中毒・依存問題は少しずつ社会問題化され、この薬による薬害は減るでしょう。
繰り返される歴史
歴史は繰り返します。化学式をほんの少し変えた精神薬が別商品の名で
「夢の薬」「奇跡のクスリ」「安全」という触れ込みで市場に登場します。
ベンゾ、SSRIの次世代はおそらく30年くらい先でしょう。(もっと短いのかもしれませんが)
つまり薬害者が老齢に達しているころです。
向精神薬はその成分がなんであれ「うつ病」や「認知症」といった不幸を運んでくる薬物なのです。
近い将来また姿かたち宣伝文句を変えて我々の前に現れます。
その時に少しでも真実を伝えようではありませんか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
参考文献
睡眠薬中毒 (PHP新書) 精神科は今日も、やりたい放題<スポンサーリンク>
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