苦しい中、毎日ブログを更新しているのは、アドセンス収入が主な目的です。
しかし今では「遺書」を残すという意味合いも出てきました。
この表現少し大げさかもしれませんが・・・
もうお分かりだと思いますが、このブログの内容はネガティブで
収益を目的にするには質が低すぎます。
「明るく健全で役に立つコンテンツ・・・」
今の自分にそのような力は残っていません。ただ内奥から湧き出る言葉を
「生きている間に少しでも伝えたい」という思いからこれを書いています。
あまりに長いベンゾジアゼピン薬害による後遺症。
一時的に良くなったという風に感じても
所詮一時的なクスリの高揚感。
断薬は続かず、苦し紛れにレキソタンを放り込む。
食欲はなく、睡眠にも支障が出てきました。
筋肉はスカスカ。胸回りは痩せ、新しく訪問することになった看護師さんからでさえ、
「この前より痩せました?」と指摘されるほどです。
もう第三者的に痩せの進行を認められています。
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為す術なく一日を無為に過ごしています。
この虚無感から脱却するためにもブログの更新を続けているのです。
痛みや違和感は「慣れ」が出てきましたが、金銭面での先行き不安で時折、
恐怖にかられます。
思い出すのは10代20代30代の若いころ。それぞれ思いが浮かびます。
40代の今から思うと若い頃、すべてにおいて恵まれていた。
しかし当時悩んでいた。
何も悩むことが無いのに不要な劣等感にとらわれ、
いつも気後れしていました。
障害福祉を受けていろいろな人達と接するうちに、
自分は何も焦ることがなかったことに気づかされます。
あえて自己弁護するなら、親からの洗脳支配が強かったことです。
父は自らの支配欲のため子供を巧妙に隷属化させていた。
つまり精神科医のクスリによって精神医療に洗脳されている患者のような状態が
家庭の中に存在していました。
精神薬をのむ前から既に家庭の中で支配の構造が形成されていたのです。
悔しいです。
クスリが抜け、親から見放される内にこのことに気づきました。
そして20代前半の親から独立しかけた頃の自分の心に戻っているのです。
今は40代後半。あまりにも遅すぎる気づき。そして体力の低下、衰亡。
現実の辛さを思い知らされるのです。
7月になりました。本来なら海や山に出かける季節。
それが衰えゆく体でお金が底を尽きる危機感の中で生きています。
「過去10年薬をのんだとしても、もしありのままの自分でいたら、どれほどよかったか?」
「それ以前に薬に手を出さず、各種民間療法でやりすごしていたら・・・?」
前者ならならまだ後悔は残らずにいたでしょう。
しかし30代からの10数年は親からの洗脳とベンゾジアゼピンへの重度の依存で
完全に自分を見失っていました。
今さら気付いてもどうしようもないのはわかっています。
今は40代後半。あまりにも遅すぎる気づき。そして体力の低下、衰亡。
現実の辛さを思い知らされるのです。
「権利擁護」
もはや福祉に頼るしかありません。「気の毒な人」としての扱いです。
福祉ケアを受け、最初は福祉業者との人間関係に悩み、好ましくない待遇を受けました。
それを行政当局に通報しました。今でも一部の福祉には不信の塊です。
そもそも彼らは無学で何も調べようとしません。
しかしそれは裏を返せば、
こちらが勉強し、権利を主張すれば、最低限の人権は守られるということです。
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人の善意にすがらなければならない程、自分は落ちぶれ、
自分をこんな状態にした薬はもちろん、社会や地域そして精神医療への
恨みが残ります。
そうした中でも、福祉を通して最低限の人権を確保することが
今の自分にとって最高の社会への抵抗であり防波堤だと察しています。
福祉の権利を勉強し自らの権利を確認、主張し、
福祉業者への啓蒙と警告をすることで
自分の権限を拡大する。(エンパワメント)
いわゆる弱者権力を自ら構築し拡大しています。
理不尽な世の中の犠牲者となってしまったからには、
このまま終わるのはあまりに無念です。
よって本来は自分の好みではない弱者福祉権力を行使する道を選びました。
障碍者権利を調べると、よく出てくる言葉が
「権利擁護」「アドボカシー」という言葉、概念です。
これはある福祉業者が自己主張の困難な認知症の高齢者や障が
い者の代わりになって権利を主張すること、代弁することです。
私は自分自身の権利を自ら主張することはもちろん、
ヘルパーや看護師にも私の権利を主張させることができるのです。
本来、このような障害者の権利擁護を福祉事業者は、
障害者から言われなくても率先してアセスメントをして、
権利主張の代行をしなければならないのです。
できるはずなのです。
自ら率先して権利擁護、障害者の代弁をしなければならないのですが、
しかし今の福祉現場のレベルは低く
障害者がネットで調べ勉強しない限り権利が守られないのが実情です。
体の痛み、将来への苦悩。
こうした中にあってさらに精神的に追い込まれる状況がこれから予測されます。
そうしたときに私の代わりになって私の権利を主張する存在が必要なのです。
つまり「盾」となる存在が必要なのです。
「福祉サービス一年の回想」
2018年7月現在。こうしてブログを書くことができるのは、
あるヘルパーさんの支援のお蔭です。
もし昨年の苦しい中、あのまま一人誰の支援の存在もなく、
一人で過ごしていたら
間違いなく措置入院か自ら命を絶っていたと考えられます。
この点、ネットで役所に誘導してくれた方には今でも感謝しています。
多少の問題はあったものの福祉ヘルパーを受け入れ1年。
今ではお互い理解がすすみました。
ただ社会的にどこまで守られるか不安が残ります。
ヘルパーさんはあまり自らの仕事を理解しておらず、
制度や仕組みをこちらが勉強しヘルパーさんや看護師に
教え知識を持っていただくことに
しています。
つまり権利擁護をしてくれる存在(盾)になって欲しいのです。
こちらがあまり言うことではないのかもしれません。
しかし少しでも守っていただける盾が今の私には必要なのです。
「薬害者の意地」
クスリでやられた障害者は、これから閉塞する社会のイケニエにされる要素があり、
今でも私を逆恨みしている
親兄弟や近隣、福祉関係者からの権利侵害に晒される脅威があります。
身内とて決して油断できない、彼ら自らの罪を隠蔽するために
私がいつもやり玉にあげられる。
「不幸な家庭に生まれてきたのだ」と自らの運命
を呪うことすらあります。
そうした悲しみや不安から救ってくれるのが社会福祉の権利です。
法律を調べると、障害者となった私は守られる存在です。
よく出来た法律と制度です。
頭のいい人が障害福祉の法律を考えたのでしょう。
今はまだ「理想」でとどまっているかもしれませんが、
そこには人類が築き上げてきた
文明の叡智が集約されています。
実際は現場のどうであれ、こうした法律を駆使して自らを守るしかないのです。
これが自らの運命を受け入れ、もっとも自分らしい家庭や社会への対
処の仕方であると
自負しています。
福祉ヘルパーさんとの交流で失った自分を取り戻すことができるでしょう。
痛みや不安を緩和してくれるでしょう。
もしかすると、回復への手がかりになる何かがあるかもしれない、
という希望がほんの少しあります。
楽観的すぎるでしょうか?
私は福祉の力を信じたいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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