ベンゾ離脱後遺症の状態観察

「水分代謝と睡眠の質」

睡眠の質が今一つよく分からない状態が続いています。眠れているのですが、目が覚めても、
睡眠の間に再生されるはずの何かが再生されていない感覚がします。

もともと水分代謝が悪い状態が数年間続いているので、ほぼ固定化された症状です。

胃の痛みは違和感となり、筋肉の衰弱が続いています。

簡単に言うと「体が干からびている」状態です。この中で後悔、自責といった精神苦悩に悩まされます。

唯一の逃避は睡眠ですから辛いものがあります。
今のところ眠れていますが、質が良くなく、気絶に近い睡眠です。

水分代謝が悪くなっている感覚があります。

差し迫った恐怖感、水分代謝の悪い体。これでさまざななことを克服しながらの生活は完全に障害者で
自分の心をどこに置いていいか分かりません。

「以前の自分はどうだったか?」このような問いかけが心を占めます。

「せめて水分だけでも」という思いから過度の水分補給になり、

一日にペットボトル1本~2本というハイペースが
続いています。

これではお金もかかります。自分の体を何とか説明しようと、ヘルパーさんに伝えるのですが、
主観的に水分代謝の悪くなった自分の体が果たしてどこまで理解してもらえるのか不安な状態です。

ヘルパーさんや看護師さんはは私の少ない理解者の方達ですから、
こちらが一方的に理解を求める状態です。

ただこの「理解を求める」という心的態度はあまりよくなく、
「本当に分かり合えるのなら言葉は少な目でもわかるはず」

と必要以上に理解を求めることを自重しています。

5月も半ばになって暖かくなってきました。それに関わらず
、寒い時期に抱いていていた温暖期への期待は裏切られ、
体はあまり回復していません。

筋肉減少は少しずつ続いています。水分代謝の不良は、筋肉減少の原因が中枢神経、
神経伝達物質の不備に原因があるのなら、今の状況も少しずつ続いていき治ることは見込めません。

どこかで終止符を打ちたい自分としては、今の状況は、精神、メンタル面での支援で改善されると信じたいのです。

外見は普通にみえ(本人的にはかなりハリツヤが失われた)検査しても、
これといった異常は見当たらず、
自らの体の変化を訴えると「甘え」か「精神病」に見られてしまいます。

酷い場合は「甘え」で片づけられ虐待の正当化の根拠にされてしまう恐れと悔しさがあります。

大幅な減断薬を開始したのが2015年。3年前です。この間の体調面を概観すると、

2016年夏に皮膚異常、水分代謝の急な悪化、
2017年にさらに筋肉減少、精神悪化。
2018年現在小康状態今に至るという感じです。

2017年6月に来ていただいているヘルパーさんのお蔭で意識・精神面はずいぶん改善したものの、
さまざまな福祉サービスから来るストレスで戸惑ったことも多いことも確かです。

相談支援専門員からは、考えられない心理的虐待もありました。これは早急に対処すべきでしたが、

当時の心神耗弱状態においては適切な判断ができず、今春、新しい相談支援専門員に交代しことで、
本来の権利を取り戻しつつあります。

弱り目に祟り目といった状態もありましたが、福祉サービスという人の助

けで精神が改善されたことは確かで、
福祉を完全否定する主張や理論には与したくありません。

これから本格的に暖かくなる5月。

精神が福祉で改善されたのですから、
「水分代謝の悪さや筋肉減少もこれから福祉の力で改善されないか?」という期待があります。

「できることは精神、メンタルからの改善」
とはいえ何より精神状態の安定が先です。これは良いヘルパーさんや看護師さん

に当たるしかありません。(お金の不安もあります。今は障害年金で少し落ち着きましたので、

来年までいかに節約するかです。)

今のところ会話にいてはかなり良好なヘルパーさん一人が中心的な

存在となり、私を支えてくれます。

良い福祉サービスを受けるには、
運と経験が必要です。福祉導入2年目を迎えようとする者として言わせてもらうなら、
「直観的な危険」を感じたら、該当者を解任して交代することです。

その判断の基準が問題になるのですが、福祉のことは、

心あるネットユーザーとの意見交換が現実的です。

私は「早く相談支援専門員を交代しろ」と多くの助言を得ていたにも関わらず、

その履行が大幅に遅れてしまいあらためて外部からの助言の大切さ
を痛感しています。

それにしてもベンゾ減薬において思ってもみなかった筋肉減少と水分代謝の悪化に

悩まされるとは思っても見ませんでした。
またなんでも自分でできていた思い上がりで排他的になっていましたが、

今は人を呼んで家に入ってもらうことが

多い日々となりました。

これは以前の私からは考えられません。

また自分が一番弱ったときに他人に弱い姿をさらけ出している自分に自分自身驚くこと多いです。

病苦もさることながら、こうした自分自身の変化とこれまで排他的だった自分の愚かさも同時に
思い知らされています。

人間は本当に一人では生きられない弱いものです。

福祉ほど需要と供給が合った世界はあまりないのではないでしょうか?

現実は需要が高まり、福祉の供給が追い付かないという状態ですが、
こちらの創意工夫でより良いサービスを受けることがまだ可能な状態です。

私が徒然の述べてきたベンゾ離脱症状を緩和させる社会的装置です。

良い福祉業者に当たれば、自然治癒力が回復します。これは私が現実に体験しました。

人間の底力とは計り知れないものです。

全身の衰弱が進む中、福祉サービスの調整を上手に行って、ベンゾ離脱や後遺症を克服していきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復