個性が強いから精神疾患?全て薬の副作用に過ぎない

精神疾患なんてこの世に存在しません。これは私が薬害者だから正当化、
言い訳しているのではなく、世の中で精神疾患として扱われ、
投薬されている人達のほぼ全て
(未確認要素があるので全てとは言いませんが)は、

単に「個性」が強かったり、大人しすぎたり(これも個性ですが)
人間関係がうまく築けなかったりした人で、

向精神薬さえのまなければ、
普通に暮らしていける人達なのです。
ベンゾジアゼピンを主流とした向精神薬の極悪さは、脳の中枢神経に作用し、

神経伝達を阻害、副作用や後遺症で肉体的な害を被りますから、正確には、
「神経障害」なのです。

それを「精神」という宗教的観念で表現するから、未知なるもの不気味なものと差別と偏見を助長しています。

本当は、神経伝達が精神薬という化学物質によって強制的に遮断された障害に過ぎないのです。

こうした本質がわからないまま、
これまでインターネットがなった時代は、情報がなく、
精神科医の言うままに投薬され逃れることさえできず、さらなる投薬で
山奥の病院に隔離され薬害を隠蔽されてきたのです。

差別迫害の拡大再生産です。

まさに差別、隔離、迫害といった人類の黒歴史が今現在もなお
、精神医療の現場で繰り広げられているのです。

こうした人道に反する流れが何の規制もなく今でも繰り広げられているのは、
製薬企業、医療の利権があるからです。

まさにスポンサーの利害がこの非人道的な医療の闇を覆い隠し、
さらなる悲劇を次世代に残しているのです。

次にあげられるのは、優生学の存在です。優生学とは、「愚者は滅びるべき」という淘汰の理論です。

愚者とは何でしょうか?非常に曖昧で主観的な定義です。しかし歴史を振り返ると、この曖昧で主観的な定義は
権力者によって利用されてきました。

自らの敵や邪魔者を「愚者」として差別、迫害、隔離することを優生学によって正当化できることに
時に権力者たちは気づいてきたのです。そこに精神医療が入り込み、無意味な投薬が開発され

実践されているのが正しい認識です。

こうした残酷なことが21世紀の日本で今もなお、省みられることなく続いているのです。

そもそも精神医療は200年程度の歴史しかありません。

薬物を中心とした鎮静方法が「治療法」として正当化され継承されてたその歴史は、
人類の普遍的な価値観である人権侵害の歴史でしかありません。

この事実は何度も指摘しておかなければならない事実です。

脳の中枢神経に働きかけ、これを抑制する精神薬、ベンゾジアゼピンなどは、今後ますますその薬害が公表されますが、
他の「新しい」「奇跡」を起こすクスリとして名前を変え私たちの前に現れます。

そうした時に「精神医療の本質は優生学」であることを想起し、薬害を未然に防がねばなりません。
その時いわゆる精神病という観念がきわめて曖昧で主観的だということも思い起こしてほしいのです。

痛みに耐えながら書きました。あとでまた編集の必要もありますが、本日はここまで。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう