自己不信

相変わらずです

新元号になろうが、世の中がどうなろうが、辛い症状は相変わらずです。
もう断薬なんて考えずにレキソタンやらベンゾ系向精神薬をたくさん飲んで余生を過ごしたほうがいいのかもしれません。

自宅で飼い殺しにあっているような気がして、半分ヤケクソになることも多いです。

2年前の衰弱していたころに比べ、体重は増えました。家事量も増えました。

意識ははっきりして2年前の2017年のこの時期
にふさぎ込んでいた頃、救急車を呼んで内科入院した頃に比べれば元気になったといえます。

福祉ヘルパーのおかげです。

それでも今でも続く毒親からの遠隔DV、ネグレクトは相変わらずです。

私が狂い死にしながら破産するのを待っているのでしょう。

「いったい何のために生まれてきたのか?こういう時こその家族ではないか?」と内心激しく問い詰める
こと多いです。

毒親過保護の危険、ベンゾ毒依存の危険を見抜けませんでした。アラフィフ。やりなおせません。

なのでもうクスリをのみ続け、痛みを緩和する、麻痺させるのがいいのかもしれません。
堂々巡りの感覚。

20代、30代、世に出ることができたはず。多くのチャンス、体力、筋力、そしてお金。
全てをその場しのぎに使い、もう残る体力とお金は数えるほどです。

このような時に真の自立、独立を求めれる。

向精神薬依存・中毒者の末路なのです。

最後の悪あがきで大幅に減薬し成功しましたが、体中のチクチク感、筋肉のコワバリ、硬直、萎縮

どれも辛いだけです。

4月に入っても暖かくなりません。依存していたヘルパーさんも退職され、今年は何か嫌な感じです。

障害年金の更新も控えています。

人間関係、相変わらずダメです。福祉現場でもトラブルばかり。

福祉レベルが低いのか、私の不徳の致すところなのか?分かりません。ただ一方的に責めを負うのはいつも私です。

これは間違っていると思います。

もう私は障害者。仮に不適切な言動があっても情状酌量の余地があります。それが健常者以上のコミュニケーション能力を
求められます。それがまた実践できるからどちらが患者でケアを受けているのか?分からなくなります。

また何を書いているのかわからなくなってきました。
記事を意識していません。「どこかに思いが届けばいい」その一念です。

毒親、過保護の裏に親からの過度の期待があったとは知らず、自立すべき時期を親元で過ごしたことを悔いています。

ベンゾ服用はそんな毒親依存の延長過程でありました。

依存、甘え。知らない間にダメな人間になっていたのです。20代前半、一時期自分に厳しく過ごしたことがあります。

当時の自己修養、鍛錬、克己の精神を思い出しています。

残念ながらクスリに負けてしまっている自分がいます。

薄くなった筋肉と皮膚。そして40代という年齢。自宅で墓穴を掘っていたこ
とに今さらながら、気づかされます。

どうしていいか分からずレキソタン5mgを夕方に一錠放り込むのです。

貯金は少しずつ減っています。こうした時期に光熱費のさらなる負担。あらゆる方面から責められています。

あまりに辛いので身の置き所がありません。

こういう時のためのクスリなのかもしれません。現実逃避、痛みを麻痺させるという・・

私には断薬など考えず、一生クスリの世話になったほうがいいのかもしれません。

これまでの断薬の試みは失敗だったようにも思えます。

何もかも自己不信です。  

最後までお読みいただきありがとうございます。

追記:腰回りの筋肉が薄くなりました。かつてサイズがきつくてはけなかったズボンがゆるくなりました。
歩くとズレ落ちます。腹回りは出ています。

腰回りの筋肉が細くなっているのです。

このような弱体化した体で稼がなければならない悲運・・
何かの罰でしょうか・・

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復