機能性ディスペプシア(FD)もまだ続いています

再服用から1週間弱(たぶん・・)
レキソタン10mg(朝晩5mg×2錠)又は時々5mgで日々を過ごしています。(8・25日現在)
この服用量で約一週間になります。

基本的に変化していません。

10mgに増量したときの変化は、

変化はノドの違和感が緩和され、食事が以前より吸収されて入るようになったことです。

精神的変化もあり気分が少し落ち着きました。

胃の不調は相変わらずで。内科検査の所見は機能性ディスペプシア(FD)のままです

FDは、平成28年7月1日に大学病院での診断です。

当時胃カメラ、腹部超音波、レントゲン、大腸カメラなど
あらゆる検査をやった後のFD診断です。体全体が不調なので総合的に調べてもらいたいのですが、

少なくとも胃は
「機能性ディスペプシア」という心身疾患であることには間違いありません。

あれから2年後の現在、胃の不調は痛みから違和感のままいまだ続いています。

心療内科の主治医からは、レキソタンとタケプロン、六君子湯を処方されています。

レキソタンは5mg×3の処方ですが、みなさんご存じの通り、
減薬・断薬に励んでおり、レキソタンは5mg~10mg又は断薬状態で過ごしています。

病状が改善されずむしろ悪化しているので
2018年8月現在

上述の通りレキソタン10mg(朝晩5mg×2錠)に増量したところです。

胃の不調があまりに長期に続くので機能性ディスペプシア(FD)=「慢性ストレス疾患」と自ら診断
し向精神薬レキソタンを再服用することを正当化する心理になります。

精神医療には否定的でも苦痛から肯定せざるを得ない心理・・・矛盾、葛藤の中の日常の執筆です。

本当は機能性ディスペプシア(FD)という病名は薬害隠しの方便で
実は機能性ディスペプシア(FD)は、向精神薬の離脱(禁断)症状、又は後遺症かもしれません。

しかし家庭環境の変化、地域社会からの妨害工作、体重の増減など
あまりに長い断薬状態で強度のストレス状態が続いたことは確かなので

長期慢性ストレスに長期さらされていることに
よる胃のダメージであるという心身疾患であるという視点
も見逃してはなりません。強度で慢性的なストレスを受けている事実には
間違いありまえん。

よってここにストレスを緩和するためにベンゾジゼピン向精神薬が有効という判断もけっして間違いではありません。

心身疾患の可能性が今では非常に高いので、レキソタンを再服用することに決めたのです。

西洋医学の見地からどうしようもなく、精神疾患ともいわれる機能性ディスペプシア(FD)には
向精神薬の処方しか有効な手立てはないのです。

向精神薬による薬害か長期かつ慢性的なストレス状態による心身の不調か全く判断できません。

精神医療に否定的な見解を持っているものの、ストレス疾患という可能性も決して間違いとは言い切れないのです。

わたしはこの3年どの内科医からも「心療内科の領域」「精神科との連携」を指示されてきました。

精神科のきつい薬(抗うつ剤)が嫌なので拒否精神科、心療内科を頑なに拒否してきましたが、

事ここに至っては是非もありません。レキソタンがもっとも身近で有効な治療法と消去法で選択しました。

「本当は麻薬的作用で麻痺しているだけ」とレキソタンを始めとするベンゾジアゼピン系向精神薬
への意見がありますが、
たとえ薬効が麻薬的であれ今のわたしの長期にわたるつらい症状を鎮めるのは、
残念ながらこうした心療内科、精神科のクスリしか
考えられないのです。

過去記事を振り返っても明らかなようにレキソタンを
再服用することの後ろめたさ、ためらい、迷いがずいぶんあります。

そのような迷いを断ち切っての服用継続です。

服用に当たってそれなりに

自分を納得させるために思考と理論を構築しました。

まずベンゾジアゼピン系向精神薬は神経毒、「毒」であること⇒ストレスという毒をベンゾ毒という毒を以て制す
「毒を以て毒を制する」理論です。「以毒制毒」です
この考えですと、心身にさまざまなダメージを与えている原因のストレス毒に
はベンゾジアゼピンという毒が必要かつ有効である。ということです。

このような理論で自らを納得させています。

ストレスの正体は1)環境によるストレス、2)心理的なストレス3)化学的なストレス4)物理的なストレス

などに分類されます。

慢性ストレス疾患はこれらの複合ストレスの症状ですので、
西洋医学、東洋医学どちらも根本治療法はありません。

西洋医学での向精神薬を使った対処療法。東洋医学での鍼灸、漢方などの対処療法。

いずれにしても対処療法しかありません
。対処療法だから良くないとする理論は少し浅はかです。

そもそも根本治療など存在しないからです。

対処療法でその場の苦痛を鎮めることによって人間が本来持っている自然治癒力(自己治癒力)を引き出し、
「快癒させる」というのが医学的アプローチの基本スタンスなのです。

精神科の薬漬け医療は本当に良くありませんが、根底には薬物による対処療法で一時的に出も
苦痛を鎮めならQOLの改善をはかりそれを以って
根治を目指すというスタイルが根底に流れている気もします。

精神医療に好意的な解釈ですが、今のわたしはこれを採用するしかありません。

「依存性のあるクスリだからナンセンス」というのも実はものすごく暴論に思えてきました。

「人間の苦痛を取り除き自然の治癒力を引き出す」これが洋の東西を問わない対処療法を基本とした医療の中心思想に思えるのです。

もちろん精神医学は優生学的な側面もありますから、すべてがそうとはいいきれません。

人間が社会を形成している限り必ず不調和をあらわす人がでてくるのです。
自然に人間社会の輪に入ることが苦手な人がいて
人間関係の改善のチャンスも環境改善のチャンスも与えられない人まま成人してしまった人達が一定数いるのです。

そうした人達に軽い抗不安薬や睡眠薬を処方するのはそれほど悪いことではありません。

向精神薬の多剤乱用はよくありません。
が、
こうした考えで複合ストレスによる慢性ストレス疾患の苦痛を緩和することが

できるのですからある意味いい時代だともいえます。

クスリを過度に怖がることなくQOLの改善につながれば人生の福音です。

副作用や依存の問題がありますが、クスリ無しで苦しい時間を過ごすより適度なクスリで苦痛を緩和し
生活の質QOLをたかめることが現代社会にとって必要なのでしょう。

長い断薬での苦痛を通じてそう感じてきました。(前記事とは正反対の考えです。試行錯誤の連続です)

精神医療にある程度理解を示したとしても、
やはり多剤処方はよくありません。また年単位で処方するのもよくないです。

軽めの薬を一か月程度。あとは薬物以外の方法で心身のバランスを整えるのが現実的です。

今の商業主義一辺倒の医学においてはそれは難しいことでしょう。

ただ、既に薬漬けにされてしまった患者は軽めの向精神薬と付き合いながら残された人生を過ごすのも
有意義な人生を送る知恵だと思うのです。

軽率な考えでしょうか・・・?

自分にあった薬を最低限服用し体力をつけQOLの改善から自然治癒に導くこと。

これが今言える答えです。

矛盾した思考の連続でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復