レキソタンを臨時的に肯定する

薬は飲んだ方がいいです

レキソタンを増薬して3日以上経過。胃とノドの痛みが緩和され、比較的「楽」になったからです。

レキソタン(ブロマゼパム)の薬効です。

ベンゾジゼピンは毒だのなんだの言われていますが、長期にわたる胃とノドの違和感が軽減されました。
これまでの断薬の苦しみがウソのようです。

痛みはレキソタンの禁断症状ではありません。それ以前にのんでいたセルシン(ジアゼパム)の後遺症が痛みのメインで

そこにストレスが重なったことによる「激ヤセ」によって体質、ホルモンバランスの変化したことが大きな原因と
わかりつつあります。絶大な不調に2年以上陥っていたのだと自ら推察しています。

この2年間、せめてレキソタンをのんで症状を緩和させればいいものを
、強迫観念的に「断薬」に固執しそれがQOLを極度に悪化させたのだと今では思っています。

レキソタンはわたしのイメージでは、長期慢性的なストレス疾患に陥った患者に麻酔的な作用で早期に沈静させ、
患者の自己治癒力を引き出すクスリということです。

毒(神経毒)には違いありませんが、ストレス、酸素毒に対抗するための必要悪、必要毒という見方ができます。

依存してはなりませんが、こういう薬は依存性があり、医師の指導と自らの人生観、思考をしっかり保つことができれば
QOL改善のための優れたクスリだと思います。

副作用も少なく後遺症も少ない。

今の私にちょうどあっている薬といえます。

これまでの減薬断薬騒ぎがバカらしく思えてきました。

クスリは確かに飲まないに越したことはありませんが、必要な人もいます。

ストレスに弱い脳の人もいるのです。

今回あえて向精神薬を肯定するかのような内容になりましたが、
長期にわたる苦しさから解放してくれたのがレキソタンです。

長期服用後の今さら断薬にこだわるよりレキソタン程度のマイナートランキライ
ザーで人生を有意義に過ごしたほうが生産的だと気づきました。

「何が何でも向精神薬はダメ」という考えはあっても構いませんが、何らかの疾患を抱えた人が

そういう考えに固執するのは破滅的です。遅まきながら気づかされました。

苦しい時は無理せずクスリをのんで楽になり、

食事と睡眠がとれればそれでいいのではないでしょうか?

必要以上に向精神薬の服薬に罪悪感を持つのは間違いです。

宗教的に断罪される苦しみまであじあう必要があるでしょうか?

他のメジャーは危険だと思いますが、ブロマゼパム=レキソタンは比較的安全
安心で有効なクスリだと確信しつつあります。

病的な思考法や人生観は良き師、良き先達、良き人間関係によって改善されますので、
この点は自分の感じ考えを常にチェックすることが大切です。

レキソタンで生活は立て直せるでしょう。問題は薄くなった筋肉です。委縮か痩せかわからない症状。

神経の故障説もありますが、わたしは信じたくありません。
おそらく老化と栄養失調、数年前の神経症的なダイエットの反動から来る
自律神経とホルモンの乱れが原因だと思います。

こうした経緯からもレキソタンは今の私に必須でQOLの改善、
ひいては人生を前向きに生きる力を与えてくれています。

断薬にとらわれるのは破滅的です。私もようやく過去にいただいた忠告の言葉が理解できるようになりました。

本稿は決して向精神薬を決してすすめるものではありません。むしろのまないことを推奨します。

しかし一旦服用し年単位の苦痛があったり、

1年以上原因不明の不調に悩まされQOLが低下している人には医師と相談の上
軽めの向精神薬でQOLの改善につとめるのが賢明だと思います。

人間は本来何らかの物質に依存しているのですからこと
さら向精神薬を敵視する必要はありません。

そういう主張は破壊的な宗教の教義でもあるのでみなさんも気をつけてください。

わたしはレキソタンと共存する道を選びました。

最後までお読みいただきありがとうございます。



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復