今年に入り活動量が増えています。
レキソタンを再服用した1月から1日10時間以上掃除、断捨離、模様替えをしました。
これは病的な感じもしますがそれでも家がきれいになりました。
その後銀行と警察に行き個人事業の準備。
この時レキソタンをのまずに外出できました。帰宅後に緊張をやわらげるために5mg玉を一錠服用しただけです。
2月半ばには電車で弁護士事務所に出かけることができました。
この時もレキソタンはのんでいません。
帰宅後に念のために5mg玉を服用しただけです。
もうレキソタンもいらないくらいです。
しかしここで一気断薬をするとあとでリバウンドの危険があります。
なので今回は5mg玉を半錠の2.5mgに割って一日2回のみという戦略を立てています。
本当は5mg玉×2=10mg玉で再服用していたので、いきなり5mgの減薬をしているわけですが、
レキソタンは耐性がついているのか、今の自分にはこの点関係ないようです。
とにかく栄養を摂り、よく眠り(これが難しい)心から楽しめるものを持つ。
そして経済的不安を減らす=節約、稼ぎを増やすといったことが心の安定につながり
減薬と断薬を成功に導きます。
クスリを面倒と苦痛を考えるとこのようなクスリ(ベンゾ)に手を出した自分が愚かでした。
「抜く時はどうするのですか?」「治れば自然と抜けますね」など精神科医に好意的な解釈でベンゾを正当化して依存していました。
尿漏れ、疲れた時の、手の甲のただれ、易怒、無感情、リビドーの低下など副作用=異常な作用を自覚していたにも
関わらずにです。
父(毒父)が大手製薬メーカーのMRをやっていてマイナーくらい大丈夫」という言葉を信じたのが良く無かったです。
飲んではいけなったのです。
2000年にのんだのですが、ものすごく元気になったような気になりました。しかしその後、起こりやすくなったり、睡眠薬まで増やして
ヘラヘラしながら寝込むような生活になりました。
完全に麻薬まがいの薬だと振り返ることができます。
こういう作用からものんではならないのです。さすがに睡眠薬(ロヒプノール)は2007年に削りましたが、
その代わりに精神科医に言葉巧みに「セルシン」ジアゼパムを追加増量されました。
なんとレキソタン15mgプラスセルシン15mgという過剰処方量で2015年まで過ごしたのです。
のんでいるとき自分が自分でないような気がしました。
どこかフワフワしていました。明らかに思考力が低下していました。それを「リラックス」と解釈していたのですから愚かです。
人間にはある程度の不安と強迫観念が必要なのです。それは現実を認識するための自然な反応です。
不安や強迫観念まで「病気」とする精神医療と精神薬メーカーは異常です。
人間の自然な五感の反応、知情意」まで否定し、病気にするのですから、精神資料は秋保質なカルト宗教です。
それも免疫系統やホルモンバランス、自律神経を見出し肉体的に取り返しのつかないダメージを与えるのですから
最悪です。
クスリも医療もインチキです。必要なのは断薬のために仕方なくステイでのむ状態の時期です。
単なる精神症状ではのんではなりません。不眠なら不眠に任せておけばいいのです。
私など眠れず目を真っ赤にしてヘルパーや看護師に対応したことがあります。
そえでも何とかなるのです。レキソタンは最低限のむこともありましたが、また減薬できそうな雰囲気です。
周囲に協力的な人がいて、気候が温暖、そして栄養バランスのとれた食事、運動をとり入れれば
ベンゾは抜けます。筋肉減少といった症状があっても少しずつ慣らせば動くことができます。
筋肉減少に関してはベンゾによる中枢神経の破壊というより栄養失調と過度なストレス過労が原因であるという可能性が出てきました。
臀部(お尻の筋肉)ヒジヒザ、手足先の薄さでモノに当たると痛みと違和感に襲われますが、そうした障がいにも慣れてきます。
辛いですが
慣らすしかありません。
残すはメンタルケアです。失った時間、チャンス、歳月が突如として現実として現れます。
こうした精神の変容をどう受け止めるか?周りに協力者がいれば比較的復元できるでしょう。
しかしこればかありは運しかありません。
この点、つまりベンゾ等向精神薬による後遺症のメンタルケアの拡充がこれから必要になるのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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