「偏見」は必ずしも悪ではない

つくづく精神科の薬ってインチキだなーって
昨日通院のときに思いました
たかが1分適度の診察でまたレキソタンか他の何かの薬を出そうとするのですから
精神科医とか医者なんてそこいらのおっさんですよ

そんな者に1分程度話したくらいでなにがわかるか?と思ったからです
医者の肩書に騙されてはいけません

ベンゾなんて冷静によく考えれば得体のしれない薬
化学物質

それを医者の言うことを信じ薬の説明本を読んでわかった気になって
のみ続けていました
今はやめたとはいえ愚かな行為でした。
薬に依存し人生棒に振りました

冷静に考えると昔々昭和時代、精神科の薬を飲んでいる人見て
「こんなのは特別な人がのむもの」「なんかヤバい薬」という常識がありました
「偏見」と言ってもいい

「偏見」は良くないことだとされていますが
こと精神科や精神薬に限っては当時の庶民の「偏見」が正しいのだと
わかりました

昭和の頃、私の住んでいた関西では精神薬は「ヤバい薬」なのはもちろん
のんでいる人に対しても「そんなややこしい薬のむな」
と助言する庶民感覚=偏見がどこか生きていました

それが平成12年頃 私がベンゾをのみ始めたころから「ウツは心の風邪」キャンペーンが盛んになり

庶民の「精神薬怖い」という感覚が「どんどん受診して安心して薬を飲もう」
という風潮に変わってきました

それと同時に薬をのむことはおおむね正しいこととされ
やめるよう助言する人も少なくなってきました

精神科や精神薬に対し庶民が大衆に転じた時期です

庶民と大衆は違います

庶民はまだ自分の実生活の経験から権威にとらわれることなく
何が正しいか判断できます

これに対し「大衆」とは宣伝に洗脳された庶民が権威をあがめ庶民感覚を無くし全体主義
を形成し異論を許さない風潮をつくるのです

歴史をみれば戦前の大東亜戦争中の日本やナチスドイツ時代のドイツ国民

最近ではコロナ・ワクチン打て打て全体主義、マスク警察でしょう

普通の庶民感覚なら熱狂的な世の中の異常に気付くはず

それがマスコミの宣伝や政府や学者の権威に洗脳されると
何の効果もないワクチンを何回もうちマスクを延々とつけ続ける

どう考えても異常でした

精神薬に対しても庶民の常識は消え去り、大衆化され日常に溶け込んでいます

しかし最近では異常に気付く人が増えてネットでの告発が増えてきました

とはいえ、こうした構造を歴史的、思想的に気付いている人は少ないです

しょせん世の中 お金儲けをしたい人たち=製薬会社、医療関係者が
あらゆる権威と宣伝で支配的空気を形成しているのです

体まで壊されたまったものではありません

イギリスでは50年前にベンゾの集団訴訟が起きています

日本人はマネできないでしょうが、せめてベンゾはそういう歴史的背景のある
問題のある薬だと認識してもらえば幸いです



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴