終わりなき日常

本格的に寒くなりました。冬です。

体中のこわばりが強いです。レキソタンを断薬したための筋硬直です。

あまり効かないとされるレキソタンの
筋弛緩作用にずいぶん依存していたことがわかります。

断薬後は筋弛緩と反対の筋硬直が出ます。

体の内側、内部からのコリ、コワバリ。横隔膜というのでしょうか、体の内側が
こわばり、これは、刃物を入れたような違和感です。

この症状の慢性化。冬の寒さでより鋭利な刃物のようにコワバリが増すのです。

上半身すべてです。特に仰向けの姿勢が苦しい。

睡眠さえ力を必要とします。

すべての生存本能が劣化するなか睡眠に逃避できない辛さ。
不眠症ではなく気絶的な睡眠でようやく寝つけるのです。

このような肉体症状の辛さと過去の後悔という精神症状に悩まされます。

何を悔やんでもあまりに遅すぎた後悔なのですが、このような時にこそ
今まで思いもつかなかった記憶がとめどもなく出てくるのです。

これまでレキソタンで封印されていたのでしょうか?

もしそうなら思考、精神面にも恐ろしい作用のある薬だと痛感させられます。

肉体だけではない、精神、知的分野にも作用するベンゾジゼピン系精神薬。

安定、マイナーといった言葉に騙されてはいけません。

後遺症を考えるとベンゾの筋弛緩作用はウソです。
一時的に緩むだけで、実は、より強い緊張をもたらす本末転倒な薬剤なのです。

こうした筋肉に作用する薬剤を長期連用すれば脳がどうなるか?
もうお分かりだと思います。そのクスリ無しでは

体のバランスが保てなくなるのです。
内臓の動きも筋肉作用で乱れが生じます。

内部の痛み、チクチク感は人に説明できません。

痛みという現象を人に説明する困難に出くわされます。

一時的な痛みではなく意識がある間、常に痛みを我慢しなければなりません。

筋肉萎縮の現実と痛み、薬物依存時には気がつかなかたことが

「意識の明瞭化」により
記憶がよみがえる精神症状。
どれも普通ではありません。

ここにまた精神薬投与の対象とされるので。

自分の症状を隠さなければならないのです。

この理不尽!

痛みとともに人生を喪失する残酷な現実。

普通の人なら正気を保つのは困難になるでしょう。

私はダラダラ生きながらえているだけで実は最後を意識すること多いです。

特に冬場は。

昨日より今日、今日より明日、と言い聞かせているのです。

毎日のようにブログで嘆いている。あまりいい状態ではありません。

加齢と身体機能の低下が同時進行しているにも関わらず、

病気の原因探しをしている。

福祉業者の訪問で何とか正気を保っています。

金銭面では障害年金。

ただこれらは永続的ではない。

自分で稼ぎだすしかないのですが、体力がありません。

寒くなると気力も減っていきます。

こうなれば断薬を中止し、レキソタンを戻すしかないのですが、

薬に頼るのは本当に不健全で何も解決していないのに、

解決した気になる錯覚が怖いのです。

同じことの繰り返し。変化があるとしたら、痩せ=筋委縮の進行。

そしてお金の減少。

あらゆる方面から抹殺されているのを感じます。

生かされるだけ生きていきます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性。現在、自立支援医療や障害基礎年金2級、手帳2級の社会福祉制度を活用しながら自宅療養中。 2000年よりベンゾジアゼピン系薬(レキソタン、ロヒプノールなど)を服用。 2015年、40代前半に常用量依存と過労の影響で倒れたことを機に、自宅での療養生活を開始。当時服用していたベンゾジアゼピン系薬の有害性に気づき、断薬を決意。 2019年7月3日にレキソタンを断薬。現在、断薬から5年が経過し、筋肉の回復をはじめ身体全体の健康を取り戻しつつあります。 療養生活を送りながら、社会復帰を目指して日々前向きに過ごしています。