水道光熱費を自分で支払うことに 遅すぎる自立

40代、いい年をしてこれまで水道光熱費を全て支払ったことはありません。

毒親と言いながら、その家に住み、水道光熱費や住居費は親が支払ってきました。

食費と通信費と税金と年金と保険だけは自分で支払ってきました。

しかし、さすがに毒父(70代)も年老いて年金が少なくなりました。

今年2月3月のガス代が未払いで、2月分の催促状が自宅に届きました。

毒親は遠方に住んでいます。住民票は移動していない状態で家の維持費を遠方から振り込んでいたのです。

家族構成は、役所的には同居、保険上は別世帯、実質的に別居です。

私一人暮らしという形態です。

ややこしいですね。毒親は、こういう手続きをせずに、祖父母の実家に帰郷したものですから、
郵送物を転送したり、近所から怪しまれたり大変でした。

水道光熱費も何となく振り込んでもらっていました。

この3年、筋肉減少と皮膚脆弱で入浴とシャワーの回数が
多くなりガス代月1万円、水道代月5千円と驚くほど高い負担をかけたことは毒親とはいえ心が痛んでいます。

(水道代とガス代は精神科医に請求したいくらいです)

今年はガス代の未払い催促状が届いてガスが止められそうになったので、
さすがに放置できず、コンビニまで歩いていきすぐに支払いました。

その翌日に3月分の請求も父宛名義で来ました。支払いには、4月下旬まで猶予がありましたが、
請求書は、親に転送せず、これも郵便局のATMで自腹で支払いました。(本当は自分で支払うべき金ですが)

今、私の財政状態は非常に厳しいです。親も貧窮。

しかしながら、自分が今住んでいるところのライフラインの経費は自分で管理しないと死活問題です。

コストアップを承知でこれまで親名義の親宛の請求のガス代と電気代の名義変更をしました。

そして請求先も親から自分へ変更手続きをしました。

これは親孝行ではありません。ライフラインであるガス、電気を止められては困るからです。

そして何より遠方から毒親に生殺与奪の権を握られているのが嫌だからです。

かなり遅い自立心の芽生え。

経済的には苦しいですが、2015年に親から見捨てられて4年目になります。

水道光熱費まで自分で支払うようになると、

自立心が芽生え、より強くなり、この病態と障害の中で自分で稼いだり、
金策に走るようになりました。

まだ親名義の家にいるのですが(居ざるを得ないのですが)、

実質自分ひとり。福祉医療関係者だけが出入りする家になりました。

自分の貯金を切り崩し、年金収入で食いつないでいるので、苦しいです。

しかし同時に毒親支配から解放された気分です。

自分が望んでいたのは、こうした「自立」だったのかもしれません。
2000年にベンゾに走ったのも、90年代に成人としての自立が満たされなかった
不満が根底にあるのを確信するようになりました。

もっと根源的に探ると、
90年代大卒新卒カードを家庭の不和、弟の非行で潰されてしまい人生の進路を狂わされた不満から生じています。

つまりこれまで私は、毒親、毒家族、毒家庭からの脱却を望んでいたのです。

それが2000年にベンゾに走りかえって薬物依存で家に依存するようになった。

「薬物依存と親依存からの脱却は2015年から」

2015年に大幅減薬をしたころ、薬物から離脱と同時に、親からも見限られました。

ベンゾ禁断離脱と強い筋肉症状で死線をさまようほど苦しい日々でしたが、

薬物が抜けていきながら同時に毒親からの洗脳が解除されていったので、
どこか清々しい気分でした。

後悔と自責の念という負の想念にも悩まされましたが、

こうした負の想念と同時に自立へ向けた清々しさが芽生えたのを覚えています。

「今レキソタン5mgでステイ。毒父と完全別居4年目。母とは2年目。」

水道光熱費を今年から自前。まだ不動産名義と水道代は親が支払うことになっていますが、
それでも実質、自前です。

「20代、遅くても30代、もっと若くて体力のあるときに捨ててくれたらよかったのに」

と思うほど衰弱した体と40代という年齢に嘆くこと多いです。

過保護も虐待と言いますが、まさに私の家庭が過保護による虐待をおこなってました。

弟たちはそうした毒親の危険性を見抜き早々に出ていきましたが、
私はうまい具合に両親にのせられ洗脳され、

挙句にベンゾと大金で骨抜きにされていたのです。

「遅すぎる自立への道」

ボロボロになった心と体で親名義の不動産ですが、食費、水道光熱費を支払い、自立への道を歩んでいます。

「まだ不動産があるだけマシではないか!」と甘さを指摘されそうですが、若さと時間と肉体はお金では買えません。

これらを毒親、毒家族と精神科医のコラボで破壊されたことを思うと多少の利得はあって当然です。

むしろ彼らに損害賠償を請求したいです。

団塊世代の毒親と精神科医という詐欺集団との戦い。知恵比べです。今の40代の団塊ジュニアは戦略的に潰されてきました。

ケミカル攻撃=精神薬が最も破壊的だったのは言うまでもありません。

40代後半、人生を振り返ると、
団塊の毒親、精神科医の食い物にされてきました。

その闘いもあとわずかの貯金と不安定な障害年金にかかっています。

洗脳から解除され経済的な自立感があります。精神的な自立といってもいい。

水道光熱費といったライフラインの管理はさらなる費用負担となり、
経済苦に拍車がかかりますが、本当の意味での自立につながります。

遅すぎる自立ですが、残りの人生を有意義に過ごしたいです。

何より肉体の回復があるかということが大問題として残ったままですが・・・

自分の肉体の破壊を考えると団塊前後の毒親たちと精神科医は取り返しのつかないことをしたのです。
全て彼らの己の身勝手な欲望と金銭欲のためです。

こういう連中をのさばらせるためにアメリカの占領政策がなされたのです。

戦後社会への憤りを胸に秘めつつ、心身の回復そして経済的自立への道を探らなければなりません。

遅すぎる自立です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

追記)
親名義の家に住んでいる限り、生殺与奪の権は毒親にあります。
ここで19年ベンゾ漬けにされ、毒親洗脳、近所の集団的ストーキングの被害で40代後半になりました。
今思い返すのは毒親に洗脳される前、(当然ベンゾをのむ前)の平成初期、90年代です。
当時と今、自分の本質は何も変わりません。

親元を去るべきでした。今は障害者で障害年金と福祉事業者に生殺与奪の権を握られています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復