発達障害 AC的な自分を分析

発達障害的な不運の中に生きているとよく感じます

何が悪かったのか?おとなしすぎる性格が災いしたのでしょうか
若い頃からいつも疎外されたままあらゆることを自分で解決することばかり
考えてきました

当然うつ病的になりだんだん人生や生活を楽しめなくなりました
若い頃はお金があったほうなのに娯楽や遊興に使うことなく
今よりも不活発で質素な生活をしていました

倒れてから障害年金をもらいTwitterに投稿するようになって
食事や遊興に多少お金を使うようになりました

全く皮肉なものです

今くらいの生活の知恵が若い頃にあればもう少し日常が充実し
向精神薬ベンゾに手を出すという愚かな選択をしなかったでしょう

たとえば自分でレシピを考え食材をそろえ料理をする
ささやかなことでも工夫すればまだマシな人生を送れたはずです

本来なすべきことはだいたい後で気づくものですが、
自分の場合、少し感が良ければ気づくことができたことばかりです

それを気づかなかったのだから、自分自身で「馬鹿なんじゃないないのか?」
と自虐的に思うことがよくあります

何か一つ思うことがあると誰かに指摘されるまでずっと
同じことを損得勘定なくただやり続けるという性格でした

周りにいい大人や指導者がいれば大きく間違うことなく人生を送れたのでしょうが
自分の場合、そういう大人が周りにいなくただ墓穴を掘ってしまいました

自分の頭で考えられない幼さ 発達障害的なところがあったのだと思います

手のかからない「良い子」によくありがちなパターンです

もう少し不良というかやんちゃなところがあっても良かったのですが
持って生まれた性格はそう変えられません

というか自分が普通で周りがおかしいと考えていたので修正する気はあまり
無かったです

親の過干渉や過保護も原因にありそうです

そもそも自分が何をやりたいのか?がハッキリしない

仮に自分に向いていることが見つかっても
そうしたことををやるのが罪悪に思える性格になっていました

これではいつもどこか緊張したまま不自然な人格形成がなされていたと思います

しかし病気で倒れて断薬し自分を見つめ直す時間を多く持つと
自分らしさが見えてきました



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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性。現在、自立支援医療や障害基礎年金2級、手帳2級の社会福祉制度を活用しながら自宅療養中。 2000年よりベンゾジアゼピン系薬(レキソタン、ロヒプノールなど)を服用。 2015年、40代前半に常用量依存と過労の影響で倒れたことを機に、自宅での療養生活を開始。当時服用していたベンゾジアゼピン系薬の有害性に気づき、断薬を決意。 2019年7月3日にレキソタンを断薬。現在、断薬から5年が経過し、筋肉の回復をはじめ身体全体の健康を取り戻しつつあります。 療養生活を送りながら、社会復帰を目指して日々前向きに過ごしています。