4月下旬
本稿を書いているのが4月21日。室温21度。だいぶ暖かくなってきました。
ほんの少し外へ出て歩くことができました。
日中近所を一人で散策。着替えて調子を取り戻すために自ら歩くことができました。
思えば2年前の2017年、ベンゾ禁断(離脱)がもっとも激しかった頃の記憶が浮かんでは消えます。
当時は今より「抑うつ」症状が酷く、統合失調症のような症状が出ていました。
認知力も低下していました。
部屋は汚部屋化、食事も乱れ、栄養状態は最悪でした。
そこに2017年6月から
理解ある若いヘルパーYさんら介助のおかげで今年から一人で個人で動くことが多くなりました。
残念なことにヘルパーYさんは、今年2月辞職され今は心寂しい日々です。
精神的な空白があります。他のヘルパーのレベルが低すぎるのです。
最初に当たったヘルパーYさんは普通以上のレベルの高い人だったのです。
今となって、ありがたさが身に染みます。
そのYさんが今年2月突如辞職。そして、筋肉減少・衰弱が酷くなったので失望の日が続いています。
風邪もひいて免疫の低下を確認。
市販の風邪薬ルルで風邪の症状(頭痛、悪寒)が治り、ようやく食欲が回復しましたが、
これは風邪の症状が緩和されただけで
Yさんのいない日常という不利な状況に変わりません。
しかしこうして一人日常生活を送ることができる自分もまたいるのです。
「2017年フラッシュバック」
ここで甦るのは、やはり、2年前の2017年のヘルパーさんが来る前の一人暮らしの惨憺たる日々です。
当時意識障害が酷かったのですが、筋肉は今よりありました。
2017年は肉体的には今より強かったはずなのに、脳=意識をやられると、
日常生活レベルが極端に低くなっていたのを思い出します。
本当に危ない状態でした。一昔前の田舎なら強制隔離入院されていたでしょう。
それがマンションで一人でもネット上での励ましの言葉、コメント、メッセージで意識を何とか正常に維持することができました。
そして福祉を導入。
ヘルパーの介助支援を受け2年目。一人行動ができるほど回復したのです。
「やはり精神薬は怖い」
ネット上での精神支援、ヘルパー支援などのおかげで
筋肉は薄くなりながらも、身の回りのことはできるようになりました。
そしてベンゾジアゼピン系向精神薬は脳や意識に打撃を与える
禁断離脱症状があるので本当に怖い薬で安易にのむものではないとあらためて実感しました。
裏を返せば、向精神薬さえのまなければ、一人暮らしでも耐えれたのです。
40代で人の介助を受ける必要はなかったのです。
それが20代でベンゾに依存し中毒になり、40代でその禁断・離脱症状から介助、
介護を必要とするまで精神にダメージを受けたのです。
脳に作用する薬は服用中も離脱後も禁断症状と後遺症を必ずもたらす危険物質で百害あって一利無しなのです。
こうした薬物の禁断症状と後遺症で危険をさまよいながら、何とか一人で
掃除洗濯料理ができるまで回復したのは驚異的です。
ヘルパーさんが不幸中の幸いでした。
精神的には立ちなおりつつあるのですが、筋肉減少、筋萎縮という肉体の障害が残っています。
2年前と違い肉体障害があるものの、何とか一人過ごせます。
仕事はできません。断薬はできておらず夕方のレキソタン5mgはいまでもステイのままで様子見です。
薬の量は同じ、筋肉は萎縮、減少したまま。胃の調子は悪い。これは2年前から一貫しています。
変化したのは意識と日常生活レベルです。
4月下旬暖かくなるこの季節にまた一つ年を取ったことを感じながらも、2年前の苦しい離脱症状の日々を
思い返すのです。
まだ断薬できていません。しかし意識、精神は着実に進歩できました。
体力、筋力、金銭、不安要素は多く拡大する一方です。
逆境の中にまだいるのです。ただ日々自分の行いを猛省、本当に人生に必要な精神的、知的価値のある
人生を残された人生で築き上げたいと秘かに誓うのです。
ヘルパーさんはまだ必要ですが、結局一人です。心の内面、内省力、病床の中での過去との対話。
世俗との付き合い方。
障害、病気を負いました。ベンゾ系向精神薬を安易にのんでしまった愚かさを猛省しています。
そして自分の日常の中で少しでも価値ある時間を増やしていく手段を模索しています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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