福祉での人間関係

3月も下旬にさしかかりました。まだ寒いですね。
でもヒーターを入れると暑くなる時があります。ほんの少し春の兆しを感じます。

体調は小康状態。食欲はほとんどなし。ヘルパーの家事支援が楽しみ。

ヘルパー派遣は二つの事業所から受けています。一つは40代同世代ヘルパー。

調理レベル抜群。最近話がよく合うようになってきました。訪問看護ステーションの経営者でもあります。

小資本家兼労働者という変わり種のヘルパーさん。

もう一か所の事業所は、社会福祉事業団のヘルパー派遣所で高齢ヘルパーが訪問。

別に年齢は問いませんが、この福祉事業団のヘルパー派遣所は年齢
や住まいといった個人情報を話しているのを
禁止している、堅い事業所です。

私のケアには「会話」が重要項目。ケアマネにも対話やメールで伝えていたにも関わらず、「会話」の件をスルー
されています。年齢や居住地域を知るのは互いを知って親しくなるのに必要条件です。
ヘルパーさんの人格を尊重することにもつながります。

相互理解が福祉には大切。この私の要望に無視を決め込むケアマネ=相談支援専門員には、

何らかの悪意と言うか敵意みたいなものを感じるのですが、気のせいでしょうか?

今の3代目ケアマネはアラサー女性。キャリア志向のある女性です。
言葉遣いは丁寧だが、どこか無礼なところがある。

いわゆる慇懃無礼な感じです。

キャリア志向の女性は男性を敵視する考えを持つ傾向にあると分析されています。

なので私のような思想が保守的、右派的な40代男性で中流時代の家に住んでい
る男には敵意を持っているに違いありません。

初代相談支援専門員T(30代後半)にもそういうところがありました。

これなら2代目相談員Eさん(60代)のほうがマシだった。相談支援の事務レベルは全然ダメでしたが、

連れてくるヘルパーさんは、今の40代女性ヘルパーさんなど
私にマッチするような人を連れてきてくれます。

手配師みたいな人ですが、障害福祉サービス利用者側にとってはいい人です。

役所志向でもない。ただ団塊前後世代特有の威圧的な何かがある。
これは私も指摘されるところですが、どうも苦手なところがありました。

職場での関係なら我慢できたでしょう。しかし障害福祉の現場では、虐待や障
害者ビジネスのカモにされる危険があります。なのでそうした
年配の威圧的なケアマネには恐怖を覚えたのです。

しかしこれは考えすぎでした。

ケアマネ=相談支援専門員には人生経験が必要です。やはり年配者がいいのです。

役所や事業所の意向より少しヤクザだがイケイケの
違法スレスレで利用者の要望に答えるケアマネがいいのです。

障害者=利用者も一人の人間ですから、趣味嗜好、年齢を勘案
して適切なヘルパーや看護師を
連れてくるケアマネは重宝します。

そうした人材を連れてくるには、かなりの人脈と経験が必要です。

そして何より昭和時代にそこそこの成功者で景気の良い時代を知っている。

だから60代くらいの経験者がケアマネにはいいのです。

その点、今のアラサー、アラフォーの方たちは、面白味がない。

それどころか景気の良かった時代に憧れると同時に異常な嫉妬心を燃やす。

上の世代への劣等感の塊の40代の私でさえ、30代の彼らからみると嫉妬の対象になるようです。

格差社会。これは貧富の差であり、世代間の差。

団塊ジュニア世代は貧乏くじ世代で上の世代から出世を阻まれ、宙ぶらりんな生活をしている。

しかし親の金が幾分かあるので比較的のんきなところがある。

自分ではダメだと思い込んでいても、アラサー、アラフォー世代からみれば、「恵まれている」
状況なのでしょう。

こうした世代間格差が障害福祉のマナージメントに影響してくる。

「福祉だから、公共だから、法治国家」だからと油断してはなりません。

人間の嫉妬は理性を狂わせます。自分も嫉妬心で狂ったことがあります。
劣等感の塊で受験ノイローゼを引きずっているACでもあります。

独身で障害者という身分も深い劣等感もあります。そして人生全般への後悔へとつながっています。

「こんな超底辺な私に嫉妬する人間などいない、」と思い込んでいましたが、福祉の現場に多くいるのです。

人間の価値観や世界観はさまざまで、空腹感のない慢性胃炎の私からすれば、

「腹が減って家に帰って弁当を食う」なんてものすごく羨ましいことです。

自由に外に出て仕事ができる。バイトができる。これもものすごく羨ましいです。

結局人間は「無い物ねだり」なのでしょう。

自分の恵みに気づかず他人に嫉妬する動物。

向精神薬もそうした人間の嫉妬から来るネガティブな感情に付け込んでいるに違いありません。

なら「嫉妬心を克服すればいい」という話になりますが、「嫉妬心はどんな高僧でも克服できないことであった」
という意見を読んだことがあります。

嫉妬心を減らす努力は大切ですが、嫉妬心こそ人間の本質。

おそらく死ぬまで消えないでしょう。

これには、「感謝の気持ちが大切」と言います。搾取する宗教や経営者がよく使う表現ですが、

個人的な今の恵みに気づいて感謝する気持ちが嫉妬心を無くします。

そして実は嫉妬するほどのことでもないことに気づかされます。

自分自身の嫉妬心を克服するには、こうした心術でいいでしょう。

しかし他人からの嫉妬に基づく敵意、策略だけはどうしようもない。

話し合おうにも拒まれる。彼らの中の正義がそうさせるのでしょう。

正義の罠。カルト宗教構成員が陥りがちな罠ですが、一般の人達もこの正義の罠に陥ることがある。

正義に思っていることは実は嫉妬心から生じていることが多いのです。

「正義の罠」に自らが陥らないようにしつつも、他人から攻撃されないようにする、されても耐えるか逃げる。

それには人間の本質の一つに「嫉妬心」があることを見抜かなければなりません。

上手な人間関係は相手の嫉妬心を刺激しない人間力から生じるのでしょう。

障害福祉サービス利用者という受け身に甘んじることなく、他所との関係を上手に築きたいものです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 障害基礎年金2級 手帳2級 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクス主義に共感