レキソタンに耐性

唯服薬しているベンゾのレキソタンに耐性がついてきました。
背中のコワバリが最近酷くなってきました。

筋肉が薄くなっているのでコワバリがよりダメージとして身体に響きます。

貯金を取り崩し、僅かな障害年金で経済的にも貧窮。

家族(毒親)との関係は良くない。

福祉も主戦力のヘルパーさんが突然の退職で抜けて頼りない人達とのやり取り。

40代中年でこのような悲惨な状況になるとは思っても見ませんでした。

思えば20代30代、チャンスと体力に恵まれながら、それを見抜けず、30代にさらにベンゾに溺れました。

ベンゾ=ベンゾジアゼピンは合法麻薬と言われています。

今のンでいるレキソタンもベンゾの代表格でこの5mg玉はとても強いものとされています。

今はそのレキソタン5mgさえ耐性がついてきたのです。

SSRIや他の抗うつ剤に変薬はしたくない。精神約そのものが嫌です。

レキソタンの増量でしのぐしかありません。あまりやりたくありませんが、最後の選択肢として

レキソタンの増量という選択は残しておきます。

19年のんでいますから、もうのみ続けた方がいい」のかもしれません。

家族も世間も冷たい。福祉もあまり良質でない部類の人達が多いので虐待リスクにさらされています。

就労にも耐えられそうにありません。意識と頭脳は健常者並みに働いても肉体が崩壊しているのです。

向精神薬は麻薬まがいのクスリなので、断薬すると筋肉が消失しアバラがみえるようになったという記録を
ネットで時折見かけます。

今の私がそれに該当します。

まだレキソタンを抜けきれていません。それどころか増量を考えている。

心が定まりません。

どこかで終止符を打ちたい衝動に駆られます。しかし「このまま終わりたくない」という欲求もあります。

残酷なクスリです。健康な肉体、筋肉だけでなく、時間、お金、誇り、尊厳あらゆるものを
奪い去っていきました。

クスリに溺れている最中も決して成功した人生ではなく、今はただ、空虚な感覚した残っていません。

「普通」ということがどれほど大切か、思い知りました。

そもそも「クスリで別人になろう」という変身願望がありました。これは異常な願望で、
昭和時代の過度な競争社会の名残りです。2000年に毒父が単身赴任から解け共同生活をする、
それに対処するためベンゾに走ったという動機もあります。

ベンゾなんかのんでもただのごまかしです。ゴマカシだけですめばいいのですが、服用中は思考力が低下し、発言
も攻撃的になります。

気づいた時は重度の依存。そこから抜け出しても副作用と離脱症状で心身ともにボロボロになります。

つまり向精神薬などのんでも何の解決にもならないどころかトラブルをひき起こし、精神的に脆弱になるだけです。
挙句に筋肉まで薄くなります。

人体破壊、人生破壊の薬なのです。

精神医療のマーケティングに騙されました。

大きな過ちです。

今もレキソタンから抜けきれません。障害年金と福祉ヘルパー派遣のため精神科通院からも抜けきれません。

体力とお金に余裕のあるもう少し若い時に気づくべきでした。

悔やんでも悔やみきれません。

今回も同じことの繰り返し。
最後までお読みいただきありがとうございます

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部経済学科卒業 経済学士 専攻は古典経済学(アダムスミス、マルクスなど) 若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴