3月

今年も3月になりまだ寒いものの、生かされていることに感謝しています。

2年前の2017年が心身共に最悪の状態で寝室で寝込み一日テレビをつけるという
抑うつ状態でした。

今はそのころに比べて意識は寄り正常に近くなり、家事の量も増えました。

自分のみの周りのことができるようになりました。

精神的には立ち直りつつあります。(時折「フラッシュバック」=過去の記憶の甦り」に悩まされますが・・・

しかし肉体は劣化衰弱しています。

胸、肩、胴回り、臀部、ヒジヒザ関節すべて薄くなりクッション機能が低下しました。

食事で補おうとしても腹回りに身につくだけ・・

典型的な餓鬼体型で不格好です。

スクワットをして足腰を鍛えるようにしています。

しかしこれらの症状がベンゾによる脳神経の変性なら、全ては空しい行動になります。

しかしまた、すべての神経が損傷しているわけではないので、正常な神経伝達が一部でも
生きていたら、そこから派生的に神経が正常になるのではないか?という期待もあります。

薄くなった筋肉を取り戻すのと同時に神経伝達の正常化をはからなければなりません。

今は少なくとも自宅で作業でき、少し出歩くことが多くなりました。

このまま春になり、暖かくなれば、もっと行動的になり、食事での栄養も身につき、心身共に良い方向に向かうのでは
ないか?という期待があります。

ただレキソタン5mg玉はまだ抜けません。仮に断薬したとしてもせいぜい2~3か月しか持ちません。

下手に抜くより5mg玉でステイを続けた方が、あまり無理のない断薬生活を送ることができるでしょう。

もっとも完全断薬し、福祉ヘルパーの力を借りて厳しい離脱を乗り切らなければなりません。

一人での断薬は完全に無理です。重度の抑うつになり、そこに他のストレスが加わると、
措置入院レベルに悪化することは目に見えているからでです。

こうしたデリケートな状態にあることを福祉ヘルパーや訪問看護師に伝えてどこまで通用するか?

これもまた大きな課題です。継続的に面倒をみてくれることが非常に困難な現実もあるのです。

やはり家族が一番なのですが、その家族が壊れている。

もともと家族ではなかったのが金銭的なつながりで結ばれていただけということがわかってきました。

認めたくない、残念なことです。

自分の家庭、自分のコミュニティーを福祉を通して築きあげなければならないのです。

自分の持てる力を発揮することが要求されます。

人は一人では生きていけません。ギブ&テイク。自分は何を相手に与え見返りに何をもらうか?

明確にしてお互いの共存関係を構築する。

これしか弱体化した私の生き残る道はありません。

弱みを強みに変えるという発想も必要です。

不本意な人生ですが、福祉の制度を利用することを学びました。

福祉の世界に自分の生きる道を見出しています。

しかし所詮資本主義、すべてお金の関係にすぎません。しかしまたお金で換算できるのが、福祉業界という世界。

時間から時間の関係ですが、それでも冷め切った家族よりはマシです。

現に重度の抑うつ状態から回復できました。一昔前の村落なら完全に隔離され入院させられていたことを思うと、

居宅介護を可能にしたホームヘルパーと障害年金によって生かされています。

これをどう維持拡大するか?

権利は私にあります。福祉にも悪質な人達が横行していますが、それでもまだ可能性がある。

障害福祉サービスを受け3年目。いろいろ学びました。そこそこの信用も得ています。

あとは体力を回復させ、断薬し、所得を得るか?です。

これまでの失敗の人生を猛省し、それを生かすチャンスも福祉にはあります。

運不運もあるでしょう。3月。春まであと少し。自分の体の回復と再生を祈りながら、日々の療養に励む日々です。

弱くても生きていけるように慣れるしかないようです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復