久々の外出

無理をするとノドの違和感が酷くなります。

28日月曜、珍しく外出。一人で出歩きました。筋肉衰弱の影響で歩きづらさがあったものの、
レキソタンが効いていたためか不安感はそれほどありませんでした。

銀行に行き通帳記帳、個人事業としての取引開始。個人事業を開業したのです。

たぶん体調に左右され長くは続きません。おそらく形だけになりますが、やるだけはやりたいのです。

そういう気合が無理につながり普段しない外出をした上に1時間以上歩きました。
歩くことができました。これはうれしいことですが
やはり「障がい」を感じます。

心窩部とノドの違和感と痛みを抑えながらの無理な行動。潜在意識的に張り切っているのです。

危機感からです。そして動き回るのですが、

かつて筋肉があったころの機敏さがありません。

ベンゾの後遺症か栄養失調かわかりませんが、体格が変わりました。経済力も家庭環境も変わり
一気に老け込んだ気持ちになります。

肉体も心も衰弱し、世の中は変わってしまった。自分は社会的に進歩するどころか退歩し、
底辺を彷徨っている。

30代の選択の失敗が40代以降坂道を転げ落ちるように落ちていくのを感じます。

個人事業で再生をかけようとしていも体があまりにも衰弱しました。

小さくなったのです。

大きな体をして元気だった頃になぜ今くらいの知恵や謙虚さがなかったのか?

深い反省ばかり浮かびます。

心身全体が危ないのかもしれません。

無理な行動がそれに拍車をかけます。

お金も少ない。袋小路の中を彷徨うとは思いもせず、親の愛に守られた幼い頃の記憶が甦るのです。

青年期、怒りっぽかった。今より筋肉も胃も丈夫なのに贅沢です。

こうした反省はまた、今体が衰弱しているとはいえ一人で歩き、風呂に入れることが
ものすごく素晴らしいことだともっと年を取れば気づくでしょう。

そしてもっと若い内に楽しんでおくべきだったと後悔するのです。

人間はみな平等に年を取ります。

若い時ほど人生に謙虚に生きることのあり難さを感じて生きるべきだと後悔しています。

失ってはじめて健康や豊かさのあり難さに気づくのでしょう。

傲慢にならないように日々の自分を律したいです。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復