つい最近まで胃痛ながら大食漢で暴飲暴食をしていましたが、
この一か月間小食です。1日1食か2食です。
食事内容は、前日から鍋に水を入れ昆布と干しシイタケでとった「出汁」(ダシ)です。
これで煮物、味噌汁をつくって少な目に食べています。
アミノ酸等=化学調味料は一切使いません。
市販の調味料はほとんど破棄しました。(醤油と味噌、塩だけ厳選して残しています)
はじめは胃痛を鎮めるためのミニ断食と小食でしたが、
「どうやら小食が根本的な体質改善のカギになる」と直観。
その後小食断食効果を
書籍やウェブ情報で知ったからです。
自己流の小食・断食は良くないといわれますが、私はまず普通に食事の回数を一日2回に減らし、
自然に一日1食~2食に減りました。
筋萎縮で手足が「たくあん」(又は梅干し)のように干上がっていても小食でOK。
お構いなしです。(正直、怖いですが今の私にできることは小食で自己融解させること・・・)
食べても胃腸に負担がかかります。消化排泄機能が弱っているところに無理に食事を詰め込んでも、
重度の便秘になります。
その毒素から胃痛が激化します。
朝はもともと生理的に排毒、解毒の時間帯でこの時間に食べる朝食は有害なのです。
病人にとって特にそうです。ちなみに朝食抜きでフラフラするのはお米の食べ過ぎ、糖質中毒の証拠だそうです。
なので朝断食をしてスイマグなどで排便を促す。これでしつこかった胃痛が緩和されました。
私の慢性胃炎はどうやら食べ過ぎによる内臓の疲弊が大きな原因の一つです。
(もちろんベンゾ離脱による自律神経やホルモンの乱れも大きな原因の一つです)
小食にして解毒、排毒体質を習慣化する。
このメカニズムがわかったので、小食、ミニ断食を実践に自信を持っています。
もともと食欲がない状態で飽食を続けていたので、小食は自然の流れかもしれません。
食事の量と回数を減らしてもその代わり「質」を良くする。
そのための化学調味料や添加物、肉魚の生産地、生産過程にこだわっています。
食事メニューは基本的に「雑食」です。上述した昆布と干しシイタケを使った出汁(だし)
で肉や野菜を調理。たまに刺身も食べます。
極端な菜食は今のところやりません。
筋萎縮が進む中、この方法で少し不安に思うことは確かですが、
別の視点=内臓を休めその分栄養の消化吸収能力を高める、という点に注目すれば、
小食とミニ断食は理に適った方法です。
クスリ(レキソタン)を断つことにも成功しています。(11月6日~11月16日現在。)
食の楽しみまで制限されるのですが、暴飲暴食も自分の体や環境への暴力行為だと気づきました。
向精神薬へ至るプロセスにはこうした暴飲暴食も関係しているので自戒を込めて食事をコントロールするようにしています。
レキソタン断薬、筋萎縮などベンゾ後遺症、多くの問題を抱えながらですが、
断食や小食に万病を治すナニカがあると直観しています。
最低限、これまでのような胃痛が緩和されます。これだけでも今の私にとって小食は意義のあることです。
昨年の今頃卵のバカ食いをしていました。胃腸に負担がかかっただけの愚かしい行為でした。
カロリーオーバーで栄養不足という悪循環を辿ります。
過食には糖尿病など別の成人病リスクがあります。
小食にはそのリスクはありません。むしろ改善されるという報告さえあります。
筋萎縮に関しても「治る」という報告が「奇跡が起こる超小食」マキノ出版 (2007/10/1)という本に紹介されていました。
菜食を重視する小食法と私の雑食的な小食では前提が異なるのかもしれませんが、
小食とミニ断食にかけてみたいです。
お金がかからず、効果が見込めます。
何と言っても食費がかかりません。(上質な肉や卵を買うことになるので、
少しばかり食費のコストがかかるのは否めませんが)
これまで毒まみれの添加物、化学調味料を一日5回も6回も多い時で食べていました。
小食の知恵をあれば、胃痛が減る分苦しみが緩和されただろうと思うと、
自らの愚かさに気づかされます。
一番の目的は筋委縮の症状進行を止めることです。
これには小食と断食が効果がありそうです。
ただ正しいやり方をしないと逆効果ですので、普通に雑食を摂るやり方で一日1~2食に留めています。
これで筋萎縮に効果があるかどうかわかりません。
飽食過食で体内が汚染され内臓に負担がかかっているのは確かです。
「食べても身につかない」のなら無理して食べることはないのです。
40年以上酷使してきた内臓を休めてやればいいのです。特に糖質(白米、うどん)砂糖は厳禁。
そうして自然治癒力を発動させるきっかけを小食、断食でもたらせばいいのです。
実際はどうなるかわかりませんが食を見直すことが治療に必要です。
暴飲暴食では決して健康になれない。
断薬に断食を通してこれまで善と思い込んできたもの(クスリ、一日三食)
が実は毒であることに気づき発想の転換を日々行っています。
ベンゾ離脱は生き方そのもの、特に食事のあり方を強く問われます。
気長にやるしかないでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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