数日断薬

暑い日が続きます

レキソタンの再断薬をまた始め3日です。漸減すればいいものをまたいきなり断薬するというやり方です。

ミリ単位で減らすやり方は私にはもう遅いようで、断薬に望みをかけるか、
最小限服用しながら
小康状態を保つか判断に迷う日々です。

筋肉減少は少しずつ進行しています。ことここに至っては為す術もなく

あるがままにやり過ごしています。

足のすね、腕がすっかり細くなって以前の自分の姿はありません。

足の裏も薄くなり重力をかけると違和感と痛みが走ります。

これで身体的に異常がないというのですから、精神でもいいから障害福祉しか社会的保護の道はありません。

回復を信じてヘルパーさんや看護師さんに対応していますが、
あくまで「精神状態を良くする」のが目的になり身体症状への理解がほとんどなされないのが
残念です。

2015年のセルシン断薬から3年 胃の痛みからはじまりノドの違和感そ
して手足、肩背中の筋肉がごっそり落ちました。

胃の筋肉も薄くなっているようで胃の病気はないにも関わらず
胃痛や食欲皆無に悩まされ続けています。

ベンゾジゼピンが脳に作用して筋弛緩作用をもたらしていたので、セルシン、レキソタンのカクテル8年
の長期大量服用によって
神経伝達に何らかの異常が生じているのは間違いありません。

もう痩せるだけ痩せ、萎縮するだけ萎縮すればそこから自然回復に向かう力が働くことを祈り
希望を持っています。

体はボロボロに朽ち果てても居宅介護や看護のお蔭で意識や気力は回復していますから、
肉体にも何からの回復があるものと信じています。

人間の持つ内なる力に思いをはせるのです。

絶望の中でも一筋の希望を見出したい。

お金の不安、福祉での人間関係、家族とのアツレキ。40代後半で進退窮まりました。

人間の基礎的な食欲さえ皆無。

このようなありさまなのですから
惨めさが人一倍あります。

自然治癒力と福祉の待遇改善によって少しでも緩和する道を歩み続けるしかありません。

画期的な治療法はない

ベンゾジゼピン系抗不安薬の薬害後遺症に画期的な治療法はありません。

筋肉が内臓から萎縮し信じられないような体型の変化が起こります

胃、ノド、皮膚 あらゆる器官に違和感を不快感が走ります。

内科の病気を疑いドクターショッピングをしても「異常なし」

意識ははっきりしてくるのでただ現実を受け入れるしかありません。

精神的に混乱することも多く抑うつになりますから、精神科の定義する精神病扱いされ
クスリを変えられたり増やされ、また薬害を繰り返すという負の連鎖に陥ります。

減薬、断薬を続けても症状は良くならず、毎日自宅で回復を待つという日々です。

唯一の救いは意識、精神が比較的健康になることです。

これは意外に思われるかもしれませんが、体の苦痛があるときこそ、己を省み

愚かさを痛切に反省させられるのです。

エゴ、傲慢、不遜、あらゆる人間の悪徳が向精神薬によって増長されていたことに気づくのです。

ある種の精神的成長がなされるのです。

自らの恵み、親からの恵みに気づかされてきたことに気づくのです。

宗教に否定的でも宗教的な気分になります。

現実は厳しく先行きはありません。しかし悟りというかいい意味での宗教心が出てくるのです。

煩悩と欲望にまみれ下らない見栄で自分の生命を浪費していたことへの反省が
自然と出てくるのです。

クスリをのみ続けていれば気づかない精神性です。

この点からも向精神薬は精神病にはまったく役に立たず精神病の定義さえ薬をのませる方便だとわかるのです。

愚かなクスリに依存してしまいました。

ほとんど断薬できたとはいえ、自らの愚かさを反省すること多いです。

今は福祉の世話になりながらも自分の人生を見つめなおし少しでも社会参加の機会を増やしたい。

そのための肉体的な回復を祈り続ける日々です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう