衰弱した身体でも意識は明瞭。ベンゾ離脱後はデトックス!

今こうして生きているのが不思議です。

昨年まだ障害福祉サービスを受ける前のこの時期は、
体温が低く、重度の便秘でした。精神状態は妄想に近い思考が何度も繰り返されていました。
筋肉は今よりありましたが、掃除の一つもできず、部屋は乱れ放題。

今から思うと、本当の意味での精神疾患だったと思います。

今は昨年より筋肉減退(減少)し、胃の調子も良くなく食欲が全く途切れたにも関わらず、
家事をよくこなし、一日の作業量が多くなりました。

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これはヘルパーさんが家に入って「話し相手」になってくれたことで
孤立感が無くなっていったためだと思います。

孤立感、疎外感は本当に怖いもので特に体調を崩した時の一人暮らしは危険だと思いました。

今は、1)意識、思考は明瞭となりつつある。2)体は衰弱している。
3)しかし家事はできる。といった相互矛盾した状態です。

このような心身の不調を緩和するため、
レキソタンを容認しこの一週間ほど連用していましたが、今朝は、朝のレキソタンを飲む気にならず
手をつけていません。
これは断薬ではなく、一種の休薬です。

QOLは早寝早起きができています。睡眠の質はよくありませんが、
それでも眠るということはできています。

体は動くが、痛みがある、筋肉が内側から減っているという状態です。

昨年の今頃、命の危険を感じ一年後には「この世にいない」と半ば覚悟していましたが、
今こうして生きている。決して調子が良いわけでなく、むしろ悪い状態ですが、それでも生きている、生かされている。

この事実をありがたく思っているのです。

恨みに思うのは私を過保護に育て上げ独立の芽を摘み取ったあげく、勘違いと思い込みで一方的に断罪し、
窮地に陥ったにも関わらず、私をネグレクト、放置した両親にあります。

あまりの身勝手なふるまいです。40代障害者になろうとも帰宅しようとしない。

いい加減で無計画な親の失敗を渡しすべての責任にして平然としている。むしろ自らが被害者のような言動をとっている。

本当の家族ではなかったような気がします。

私は10代には既に大人として成長し独立していました。

しかし製薬会社のプロパー(MR)をやっていた父に言葉巧みに騙され、
普通の人生のコースを外され、キャリアを潰されました。

ここにベンゾジアゼピンに走るきっかけができ今に至ったのです。

このような親の失敗をさらに私のせいにされ倒れているのにネグレクトされている。

思慮の浅い親の気まぐれに翻弄される人生です。

10代20代の若い時に親を捨てる覚悟で家を出ていれば良かったと後悔しています。

筋肉減少の肉体症状の他、今の私はこうした家族間の確執があります。

「自分の道を歩めばよかった」

自分が本当に望む願望で自分の道を歩めば良かった。親のいうことは話半分に聞いておけばよかった。
親以外に相談できる相手がいればよかった。

40代半ば、世間では社会の中枢にいてもいい年齢で、このような感慨を抱いています。

肉体の回復、経済の回復、心の傷の回復。どれ一つとっても難しいものです。

肉体も経済も心も分断しているのではなく実は一つなのかもしれません。

「心身統一」「心身一如」という思想が東洋に古来からあります。

西洋医学は細分化の学問と思想。

対処療法、専門科の多さがこれを物語っています。

精神医学も対処療法で全体を見ず麻薬類似物質を投薬しその場の状態だけを見るという
大局を見失った学問になっています。

優生思想が根底にありますから、その投薬は差別と迫害を正当化するためのツールで治療には至りません。

唯一効用があるのは、末期がんなどの激痛緩和、終末医療にあるでしょう。

そのような末期医療に使われるクスリを軽いとはいえ長年服用してきたのは愚かで
もう取り返しがつきません。

途方に暮れる日々です。

「断薬し脳の機能の回復」

体が衰弱して時に痛みに悩まされていても向精神薬とは決別し新しい人生を歩みたいです。
そのためには福祉ヘルパーさんの存在が私には欠かせません。

福祉ヘルパーは精神医療システムの一つですが、福祉ヘルパーに関しては医療とは完全に分離しており、
精神医療から抜ける道があります。

ヘルパー派遣にも精神科の一筆が必要だとしてもそれは一時的形式的なもので、
実質的に独立した存在です。

私の担当のヘルパーさんは反精神医療に理解があり、内海聡氏の本やウェブサイトをスマホで検索して調べてくれるなど
こちらに協力的です。

看護師はやはりコメディカルで反精神医療に興味を持たず、クスリの基礎知識さえありません。
本当は嫌な存在ですが、障害年金の更新のために仕方なく既成事実を作っているのが現状です。

「障害年金のために精神科の奴隷」

今の私にはヘルパーさんなど純粋な福祉の方がいればいいのです。

看護師などはやはり上から目線であまり好きではありません。障害年金の更新さえなければいらないのです。

もっと言えば障害年金さえ本当は不要です。なぜなら精神科に通院を強要させられ、加害者である精神科医の顔色を伺わなければ
ならないからです。

この体と年齢ではとてもではありませんが、外で働くことできず、必然的に障害年金に頼らざるを得ないのです。

健康な体でバイトするほうがよほど心身の健康にいいです。

悔しいことに筋肉という機能と誇りまで奪われ障害者のレッテル。

疾病利得が多少あろうとも、自尊心も尊厳も奪われたままで、耐えがたい苦悩に陥ります。

ですので居直って、「疾病利得をしゃぶりつくす」という精神状態にまで下降しているのです。

世界基準から見て異常な日本の精神医療が利権のためだけに野放しにされているのなら、

被害者の障害者は疾病利得を限りなく使いきる。これが健全な報復であり当然の権利と
思っています。

運命のいたずらか、精神科医の計画通りに貶められたのか、
いずれにせよメチャクチャな人生を歩んでいます。

「いつか再起を!」願うばかりです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴