再服用という名の頓服でレキソタンをまたのんでしまいました。
レキソタン(ブロマゼパム)は、
ベンゾジアゼピンの中では、比較的抜きやすいベンゾとされますが、
これはどうも「短期」服用者にいえることで私のように18年ものんでいる長期服用者には、
通常の減断薬理論は当てはまりませんし、離脱症状や後遺症は短期の方とはまた違った
異次元のものです。
レキソタン、セルシンとベンゾ二種類をカクテル処方され8年ほど2種類飲んでいましたが
2015年のセルシン大幅減薬、2017年にセルシン断薬してから、
今はレキソタン1種類、5mg玉だけです。
これなら簡単に抜けるはずで、現に断薬している日も多いのですが、
先日また再服用です。「再服用」とはいえ、断薬期間が短いので実質「頓服」であり、
それは継続して服用している状態です。
なので、耐性もついておらず、たまに服用するレキソタンが今の私には欠かすことができない薬品です。
べんぞ長期服用者(おおむね10年以上の方)にはこのような方が多いと思います。
私もご多分に漏れず、ベンゾ長期服用者で、セルシンは断薬したものの、レキソタンが抜けず、
これで何とか生きているような状態です。
本当は「痛み」が麻痺した状態なのでしょう。治っていはいない、「感じない」状態が
眠れて少し食べれる状態を作っているだけです。
良い様に解釈すればベンゾで中枢神経の一部(GABA)に働きかけリラックスさせることで
ストレスを緩和しあらゆる苦痛から解放しているという状態です。
悪い風に解釈すれば、健全な神経状態を麻痺させ本来の機能が働くなくなっている。
楽な状態とは単に「ラリッている」だけです。
ここでいう良い悪いは倫理の善悪の概念ではなく、「気分がよいか?」「生活を送れているか?」
という基準です。
ベンゾ減断薬でQOLが極度に低下し、食べることもできないのなら、やはりクスリは飲むべきでしょうし、
「その場しのぎ」でもクスリが効いている限りその人に必要な薬に思えてきました。
これは肯定否定の二元論ではなく「苦痛を緩和し、生活できる力を得る」という観点からにのベンゾの増減
を前提とした思考です。
「しばらく付き合っていくほかない」
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レキソタンが抜きれない状態でまだ効いているのですから、私にはレキソタンが必要なようです。
「やめよう」と必死にになるのではなく、ここまで来たら「しばらく飲み続ける」のが現実的な判断です。
レキソタンを再服用したところで失った筋肉は
戻ってきませんが、幾分かリラックスできる、痛みを緩和する作用があるのは確かでまだ効いている状態なら、
1日5mg~10mgは容認してもいいのではないか?と思っています。
現に10mgに増薬した3月ごろ、調子が上向いたほどです。その後の急な断薬でまた不調に陥っているのですから、
「再服用という名の頓服」にあまり神経質にならず、気を楽にレキソタンと付き合っていいくのも
一つの選択肢ではないか?と思い始めているのです。
レキソタンだけになって約2年、セルシン完全断薬してから1年になり
ます。この期間レキソタン5mgで推移してきました。
答えから言うと「レキソタンはのみ続けておいた方が良かった」ということです。
ここまで来ればのみ続け、たまに休薬、あるいは自然に断薬というのがベターなやり方で、
「断薬」を意識しないやり方が一番だと思いました。
レキソタンというベンゾジアゼピンを長期服用したのですから、脳がその薬剤無しでは成り立たない状態なのです。
筋肉減少だけでなく、ベンゾの筋弛緩作用に対する筋硬直が必ず起こりますから急な減断薬は効果がないどころか
むしろ有害ではないか?という疑問さえ出てきました。
ネットで減断薬が叫ばれていますが、あれは短期服用者向けなのかも
しれません。
長期服用者の減断薬は実験データとして取集されているような気もします。
筋肉減少は止まらないでしょうが、ある程度飲み続けることで、不要なストレスや痛みを
抱え込まないように配慮するのも一考です。
そうすれば福祉の力で元気をもらえますし、残りの人生を有意義に過ごせると思います。
完全断薬はよほどの条件が整い続けない限りは非常に難しいと長期服用後に大幅な減薬をした
当事者として観察できました。
ここまで来れば仕方ないのです。
ベンゾで判断が狂ったことを考えるとのみ続けたくはないのですが、今さら過去には戻れず、
ただ苦しみがあるのでは、「セルシンが悪さをしていた、レキソタン単剤なら容認範囲」
と自らに言い聞かせているのです。
「本当にベンゾジアゼピンが原因なのか!?」
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筋肉減少に限って言えば、本当にベンゾジアゼピンが原因なのか?という疑問が残ります。
確かにベンゾは有害です。しかしそれにも増して有害なのは「ストレス」で、
筋肉減少は急な急な減断薬に心身がついていかかった、そこに別のベンゾとは無関係の
ストレスが急にのしかかったという視点で考えるる必要があります。
つまり筋肉減少が起こったときに、「急な生活環境の変化はなかったか?」ということです。
私の場合これがありました。ベンゾを急に減薬した時に我に帰り人生を点検し、すべての仕事を休業しました。
これにより家族からの誤解にも基づく猛反発がありやり玉に挙げられました。
今から思うとこの家族からの急な誤解に基づく猛反発が急性ストレスとなり、そこにベンゾ減断薬に
よる急性ストレスの負荷がかかったといえます。
栄養状態が悪い上に急性ストレスと老化が重なったのが原因でしょう。
「人生を見直す」にはベンゾの減断薬による思考判断の正常化が必要なのですが、
タイミングや条件を整える事前準備が必要ことが必要だと私の経験から逆引きして言えます。
事前知識をもってベンゾ減断薬に取り組まなければならず、それには精神薬に対する知識、
精神医療福祉の歴史と利権構造を概要だけでも知っておかなければなりません。
当然そのような知識はインターネットは必要で特別に勉強しなければ身につきません。
この観点からベンゾジゼピンなど精神薬ははじめからのまないほうがいいののです。
が、既にのんでしまった、どうしようもないQOLに陥り体がボロボロになった今では、
クスリをのみ、福祉の力を借りてでも自ら立て直すことが必要になるのです。
これらの采配が難しいのですが、今となっては取り組まなければならない課題です。
生活資金に少し余裕のある間、ベンゾの害はあまり考えず、
レキソタン服用と福祉を通して日常を安定させるしかない、というのが
今の私の結論です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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