福祉を利用した回復計画

自立支援という経済的メリットをうけるため、精神科医による悪意に満ちた誹謗中傷の診断書を受け取って
今もまだ医師に対する幻滅と、内海医師のいう「精神科医は患者を動物とみている。優生学で淘汰されるべき存在」

という精神科医の本音が見えてきました。
今ものんでいるレキソタン。18年前の2000年に始めて飲んだ時、信じてのんでいました。

ネットで見ても人気のある安全性の高い薬で疑うことはありませんでしたが、

「このベンゾジアゼピンはホルモンをいじる
去勢薬では?」と直観していましたが、見事に当たりました。そういうう方面の元気がありません。
年のせいだといわれますが、明らかに薬剤によるものでしょう。

精力だけでなく、免疫、粘膜、筋肉、皮膚あらゆるところに、老化とともに遅いかかってきます。

(これらを一括して治すには「牡蠣のパワー」を信じ期待しています)

製紙若を服用するからには、よほど食生活の充実と運動などQOLがしっかりしていな

いと薬に負けます。ベンゾはそれくらい体に負担がかかるのです。

また心もうつになり、どうでもいいことに過度にとらわれたり、全体が

見えなくなって誤った方向に全力で突進するという
愚行を起こしてしまいます。

今も「QOL向上のため」と言い聞かせて飲んでいますが、そのQOLも実はベンゾが破壊している。

今のQOL向上理論はベンゾによって破壊された心身のリズムを麻薬的効果で麻痺させ一応の睡眠と食事をとれるように
するあめの正当化です。つまりベンゾは、本末転倒な薬で最初からこんな薬

をのまなければ依存にも中毒にも離脱も後遺症も関係ない
健やかな日々を過ごしていたことを思うと断薬の苦労もQOL正当化理論も関係ないはずで、

服薬したことは慙愧の念に耐えません。

「福祉はいろいろ言われているけれど」

今年で福祉サービス(訪問ヘルパー)を受けて一年約1年になります。

「最初はどうなるか?」ドキドキしたり、ケアマネである相談支援専門

員の態度や足の引っ張りにイライラしたり(これは今もあります)
大変でしたが、その中で障害年金の手続きを市受給が決定、さらに各種機関へのオンライン化に成功して
家事ストレスが大幅に減りました。

ヘルパー事業所と訪問看護事業所との関係も良好になってきました。

福祉に携わる女性達は大変です。過密スケジュールの中、

介護福祉というものすごく難しいサービスを展開しなければなりません。

利用者の奴隷的存在になってもいけません。

彼女たちのストレスと葛藤を思うと自分もずいぶん勝手なことを言ってきましたが、

生活基盤が整いほんの少し余裕が出てくると、いろいろなことに意欲的になってきました。
これがまたヘルパーさんや看護師さん達にも伝わり、心理的に良い状態が形成されそうです。

「移動支援」

ようやく「移動支援」サービスが計画に上がってきました。サービスの権利は去年の秋ごろに獲得していましたが、
ヘルパーさんたち=事業所の都合にずっと振り回され、後回しにされてきました。

ヘルパー事業所の「シフト」という日程と時間が変則的な勤務体制を理解するにつれ、
こちらの不都合があっても多少ばかり彼女たちを言理解する余裕が出てきました。

私より重症な患者さんが多い。私も統合失調症かと思うほど胃痛が激しく、意識が曖昧になっていました。思考力
も今よりかなり低下していたのを覚えています。

ヘルパーが入り、話をすることで少しずつこれらの症状が緩和し、薬がなくても精神的な病気は治るという確信に
変わりつつあります。

これから暖かくなるので「移動支援」を利用し、外出することでよ

り一層の気分のリフレッシュと内臓や神経の活性化が
期待できます。

残念ながらレキソタンを抜きながらは無理でしょう。

あまり効かない時があるとはいえ、レキソタンは私の脳にはまだ必要で、十分な栄養を取りながら
漸減していくしかないのです。

一人での減断薬はストレスフルであまりにも無謀でした。

障害者であることを自覚し、障害福祉サービスを受けることが自立への一歩になっています。

「まだ体力と経済力のあるうちに利用すべき」という判断は正しかったです。

それでも福祉関係者への懐疑や違和感があってストレスにもなったことは確かです。

世間一般の福祉へのイメージもある程度当たっています。

しかしだからといってベンゾ離脱やその他のストレスで完全い疲弊した心身には人の力=マンパワーが必要で、
福祉こそその貴重なマンパワーを供給してくれる素晴らしい社会制度なのです。

問題は多いです。しかし人間は一人では生きていけないし、動物的な「群れ」をつくることが下手な私のような

人間を救う制度でもあることを実感しました。

福祉とはいえ、資本主義社会ですから「お金」の関係ですが、

そのお金は税金で心身共に弱った障害者や老人に使われるのは
日本がまだいい意味での社会主義国家であることを意味します。

完全な自由主義社会、市場経済ではどこかで破たんがきます。

日本には昔から福祉社会的要素がありましたが、高度成長時代にそういう社会関係は崩れ去っていきました。

代わりにマルクス思想が資本主義社会の不備を補うための措置=福祉制度として拡充してきましたが、
これも、利権化してしまい、本末転倒なところもあります。

福祉を享受しながらもその社会背景や思想的なことを考えるようになりました。

今は心身を立て直すことが一番の目標です。そのための福祉制度の活用ですが、
背景にあるものの理解に努めたいです。

私に悪意と敵意を持っている精神科医が福祉を利用するための権限を持っているのだから、
複雑なとことです。
精神科医が福祉利権の一環として私に同意書や指示書を書く権限を持っている社秋制度ですから

仕方なく、今は適度に利用できているのだから、結果的に良く、
少しは気が楽になります。

それにしても医師の私への診断書、「もう少し人格を尊重した内容にんらないものか?」と煩悶とします。

精神科医の根底に何らかカルト宗教イデオロギー又はエセ共産主義思想(学生運動思想)でもあるのでしょうか?

私も少し偏見に満ちていますが、毎回、同じ文言で誹謗中傷の診断書を書く医師はやはり

「おかしい」「カルト」「反日的」といわざるを得ません。

心療内科という看板には笑わせます。精神科医は、所詮「心」の存在な

ど信じていない俗流唯物論者、機械的唯物論者だからです。
尚且つ日本という「国がら」が大嫌いな人達であることには変わりありません。

そのような人物から毒性と依存性のある危険な薬をのんでいたのだから、

私の人生は苦しみな中で崩壊しつつあります。

しかし!  最後の力とチャンスで挽回したいものです。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 私大経済学部卒業  若いころから病気がち アルバイトや自営の仕事を転々とする 現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度利用者 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と 過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 薬害を受けてもないことにされるという資本主義社会の 矛盾に気づき社会福祉を受けることでマルクスの資本主義分析に共鳴