レキソタン断薬に関するメモ2015年から3年経過の状態

「レキソタン断薬に関するメモ2015年から3年経過の状態」

今もレキソタンとは縁を切れずにいますが、ベンゾジアゼピンを大幅に減薬してから
即ち2015年から3年経過の現状をお伝えします。

今の服用量はレキソタン5mg玉一錠のみ。

3年前に大幅減薬し、セルシンを断薬、レキソタンのみで過ごしてきました。

背中の筋肉の硬直(特に左半身)。食欲皆無。筋肉減少、体の諸関節のクッションが薄くなり
行動に制限があります。

精神状態は普通。痛みに慣れたので静かに我慢する術が身についています。

時折、自責の念、後悔、無念がとめどもなく出てきて深く感傷的になることがあります

一種の「抑うつ」状態です。どこかに出かけるにしてもタクシーが必要でお金がかかります。
また衣類のサイズが合わなくなり、ブカブカのTシャツに腹だけでた体型でこれも動きを制限しています。

ベンゾ断薬の成功に夢見ていましたが、今の状態は遷延性離脱症状(せんえんせいりだつしょうじょう)

つまり「後遺症」の領域です。

内科的には問題がないとされるので、辛い痛みを我慢するしかありません。

特に筋肉のこわばり、硬直=特に背中、首回りの
硬直が酷く息が浅くなります。

6月の暖かさがあるので、冬のような辛さはありません。

戻ると期待していた食欲は回復せず、ずっと義務感で食べる生活です。

一時レキソタンを5mgから10mgに戻したことがあります。今年の3月ごろです。

それでウソのように食べることができました。

それでまた断薬すると、今の状態。まさにキンドリングです。

思い切って再度レキソタンを戻しQOLの安定化をはかるべきかもしれません。

それが依存性が強く、一時的な麻痺状態であっても、こうも毎日苦しむのは辛いだけですから。

しかし耐性がつくという問題があります。

レキソタンを増量しても薬が効かなくなれば、それこそ常用量離脱をひき起こし、

後遺症がますますひどくなる恐れがあります。

これでさらにメジャーや抗うつ剤など服用してしまうと、「後戻り」できなくなることは目に見えています。

今はただひたすらストレスを少なくして日々を充実させるしかありません。

幸いヘルパーさんが協力的になってくれました。

「看護師よりヘルパー重視」の方針をヘルパーさんにアナウンスしたことが奏功したと思います。

医療は全く信用できません。不快なだけでなく、措置入院させられる危険があるからです。

その他に障害者ビジネス、貧困ビジネスの安い労働力として売り渡される危険も存在します。

医療とのつながりは、障害年金維持のためとはいえ、あまりにもリスクの大きい賭けです。

「人権侵害への道」の先兵が看護師らコメディカル(医療従事者)です。

世間の看護師への良いイメージは、高齢者介護福祉のおける看護師であって

障害福祉における看護師はつねに人権侵害が問題視されている精神医療と不可分の関係にあり、

措置入院という名の強制入院の危険を含んでいるのです。

ですので「レキソタンでQOLの安定」などというのは、今の自分には、現実的であても、
反対に依存が重症化しよりディープな
精神医療から抜けられないことを意味するのです。

「措置入院・・これだけは避けたい・・・」

「しかしレキソタンで楽になりたい」

ジレンマの連続です。

「レキソタン本当のところはどうなんでしょう?」

ベンゾジアゼピン向精神薬に関する情報がネットで飛び交っています
失敗例、成功例さまざまな立場からブログで発信されています。

<スポンサーリンク>



医学では「向精神薬の副作用や後遺症は無い」という立場ですので、医療はあてになりません。

私は家で耐える日々です。

 

 

一人だと正気ではいられないので、福祉ヘルパーさんの存在はまさに命綱です。

ヘルパーさんは看護師を敵視してきるので、この点も共闘できます。

一時看護師に肩入れしたことがあり、その時ヘルパーさんとの関係が少し悪化しましたが、

当該の看護師が自滅的言動をとってくれたことで、ヘルパーさんへの信用はますます高まり、

ヘルパーさんも好意で返してくれます。

今このヘルパーさんの存在がベンゾジアゼピンの離脱、
後遺症をずいぶん緩和させてくれる心強い存在です。

1年経ってようやくヘルパーさんの信用を得ることができました。お互いの目的を確認することができました。

後遺症のよる筋萎縮や胃の不調は慢性化していますが、クスリとは関係ないヘルパーさんの協力で
少しずつ何かが変化しているのを感じます。

この積み重ねで後遺症が緩和され、治癒に向かえばと願うばかりです。

「中枢神経破壊説」

ここで気になるのは、ベンゾジアエピンの遷延性離脱による中枢神経の破壊です。
「食べも身につかず」「運動しても疲れない」

一種の神経伝達異常ですが、このような状態が既に3年近く続いています。
ウェブ検索をかけると下山日記という同世代の方の筋肉減少と不眠、耳鳴りの記事が出てきます。

私と共通する点が多く、もし彼の言うように中枢神経の破壊でしたら回復の見込みはなく、
絶望的です。

しかし私はこの一年で意識は明瞭となり、家事をこなしブログも書くことができています。

耳鳴りや発疹は今のところありません。

確かに少ずつ筋肉減少は続き、手足の先がものに触れると今までにない

不快感と痛みが走るほど皮膚と筋肉が衰弱しています。

また食欲がないのは、あきらかに本能を司る視床下部の働きが低下していることが原因で
何か特別なものを食べたり休むことでは治っていません。

思い切ってレキソタンを増量し一時的な「楽さ」が出てくることもあります。

「そのまま飲み続ければ治るのかもしれない」というところでいつも断薬し、

キンドリングを起こしています。

自分の場合はもう二進も三進も行かない状態で何が正解かわかりません。

大人しくレキソタンを増量したほうがいいのかもしれません。

長く続いたレキソタン減断薬の旅は結局、レキソタンの再服用で終わるのかもしれません。

中枢神経の破壊ならできる範囲のことをやり続け、自然回復を祈るしかありません。

答えにならない問いをずっと続けています。

社会的に危なくなってきてその焦燥感もあります。

家族からの理解はなし。

むしろベンゾをのんで異常な言動をとっていた頃の恨みを買っているようです。

中枢神経の破壊、神経伝達の異常、家族からのネグレクト。

後悔、無念の思いが去来する毎日です。

どこか少しでも安息の日が訪れればいいのですが、こればかりはどうしようもない。

ヘルパーさんの好意に甘え奇跡を信じるしかないようです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。50代男性。 ベンゾゾジアゼピン系薬剤で薬害を被りました。 2019年7月3から断薬開始 断薬に関する書籍、ネット上の知識、激励そして鍼灸治療(訪問)のお陰で断薬に成功。 現在薬はまったくのんでいません。 断薬生活を機に食生活を見直しました。 日々の料理記録から断薬成功に必要な「思想」を読み取って ください 断薬に必要なのは小手先のテクニックではなく 生命や社会に対する思想が重要になるからです。 思想は料理に反映されます 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に しています。 お米はたくさん食べています。 世間で喧伝されているような糖質など一切問題ありません。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せ(衰弱)に襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 現在断薬4年を経過 2023年8月3日時点