あの冬を越えて――断薬6年6か月目の年始に思うこと

 

目次

 

  1. 断薬6年6か月目の年始
  2. 10年前、救急車を呼んだ冬
  3. プリンペランと、束の間の回復
  4. それでも続いた自宅での苦難
  5. 2026年1月、ここまで戻ってきた
  6. 喪失感を抱えながら、感謝とともに

断薬6年6か月目の年始

2026年1月3日。
最後のベンゾジアゼピン(レキソタン)を断薬してから、6年6か月が経ちました。
首、肩、背中の硬直と骨格の歪みは、今も完全ではありませんが、日に日に改善しています。
朝起きたとき、身体が少し軽い。足先が温かい。そんな小さな変化を、確かに感じ取れるようになりました。

この時期になると、どうしても10年前の記憶がよみがえります。
同じ冬、同じ寒さの中で、私はまったく別の場所にいました。


10年前、救急車を呼んだ冬

10年前の正月、私はあまりの苦しさに救急車を呼びました。
身体は衰弱しきっていて、立つこともままならず、強い不安と恐怖に支配されていました。

病院では点滴を打たれ、吐き気止めとしてプリンペランを処方されました。
入院にはならず、そのまま帰宅。
あのときの病室の白さや、点滴が落ちる音は、今でも鮮明に覚えています。

当時の私は、ベンゾ(セルシン、レキソタン)を断薬しきれず、煩悶の最中にいました。
今になって思えば、あの時点では無理に断薬を続けず、服用し直してもよかったのかもしれません。
それほどまでに、心身は限界に近い状態でした。


プリンペランと、束の間の回復

当時、プリンペランが抗精神病薬に分類される薬だとは知りませんでした。
ただ、医師に言われるまま服用し、回数は2〜3回分ほどだったと思います。

依存するほどの量ではありませんでしたが、不思議と少し食欲が戻りました。
久しぶりに「食べられる」という感覚があり、生き返ったような気分になったのを覚えています。

あの瞬間だけ切り取れば、確かに救われていました。
しかし、それは束の間の回復に過ぎませんでした。


それでも続いた自宅での苦難

病院から戻ったあとも、自宅での苦難は続きました。
詳細はここでは書きませんが、心身の不調は簡単には収まらず、孤独と不安の中で日々を過ごしていました。

薬をめぐる迷い、身体の不調、将来への恐怖。
出口の見えない時間が、ゆっくりと積み重なっていきました。

今振り返っても、あの時期をどうやって耐えたのか、自分でも不思議に思います。


2026年1月、ここまで戻ってきた

そして現在、2026年1月6日。
私は断薬を終え、家事ができるまでに回復しています。
掃除をし、料理をし、日常をこなす。
それだけのことが、10年前には考えられませんでした。

初詣にも行くことができました。
境内の中を歩き、冷たい空気を吸い、季節を感じる。
10年前を思うと、まるで嘘のような光景です。

もちろん、完全に元通りというわけではありません。
年を重ねたことによる気後れや、失われた時間への喪失感や後悔は、今も胸の奥にあります。


喪失感を抱えながら、感謝とともに

それでも、あの地獄のような状態から、ここまで戻ってきたという事実は重く受け止めたいと思います。
奇跡ではありません。
時間と、試行錯誤と、そして諦めなかった結果です。

焦らず、比べず、無理をせず。
感謝の気持ちを忘れずに、日々を過ごしていきたい。
それが、今の私にできる最善の生き方なのだと思います。

あの冬を越えて、ここに立っている。
そのことだけは、静かに誇りに思っていいのかもしれません。


 

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性。現在、自立支援医療や障害基礎年金2級、手帳2級の社会福祉制度を活用しながら自宅療養中。 2000年よりベンゾジアゼピン系薬(レキソタン、ロヒプノールなど)を服用。 2015年、40代前半に常用量依存と過労の影響で倒れたことを機に、自宅での療養生活を開始。当時服用していたベンゾジアゼピン系薬の有害性に気づき、断薬を決意。 2019年7月3日にレキソタンを断薬。現在、断薬から5年が経過し、筋肉の回復をはじめ身体全体の健康を取り戻しつつあります。 療養生活を送りながら、社会復帰を目指して日々前向きに過ごしています。