薬をのみ始めた当初、レキソタンをのんでいたのですが、
それが向精神薬という自覚はほとんどありませんでした。
周りにセルシンやデパスをのんでいる人たちが多かったからです。
単なる「軽い安定剤」眠れいないから「眠剤」という感覚でした。
しかし違和感というか別人格が現れている自覚はありました。
「麻薬?」と思えるほどの依存性にも気づいていました。
そして「優生学的な発想」と「商売としての投薬」で医師がクスリを処方し続けている
ナニカに気づいていました。
気付いて断薬した今や何もかも遅すぎた感があります。
「すべてクスリのせいにするな」と言われますが、今の症状は明らかにクスリの後遺症。
苦しみをネットで書き続けて3年以上になります。
一人では耐え切れず障害福祉を受けて過ごしています。
こうしないと「抑うつ」が重傷化するのです。
愚かな自分を見つめながら、クスリの怖さを思い知らされ衰弱した体に嘆き悲しむ日々です。
脳に作用するクスリに安全なクスリはありません。
つまり安全な精神薬など存在しないことを身を以って体験しました。
ちょうど2000年にのみました。
20世紀末です。何かに焦っていたのでしょう。「治療」を求めてベンゾに走ったのが不幸の始まりです。
フルニトラゼパム(ロフプノール)2mgとレキソタンをのんでいた頃の自分は怒りやすく、
明らかに薬害作用で問題のある言動が多かったです。
それを容認または推奨する親もいました。
今はその親も高齢となり、遠くに住んでいます。
連絡はほとんどありません。
私の言動に愛想を尽かされたのです。
毒親、毒父の遠隔DVも40代にして受けることとなりました。
平成時代、金回りがよく私の若さの可能性があったころは昭和時代の暴言がなくなっていたはずの父。
その昭和時代の暴言がまたこのような体になってしまった私に浴びせられかけています。
「なぜ?」父の言動の変化に今も疑問があります。おそらく自分勝手に描いた息子へのイメージ、期待が
大きく裏切られる形となったからでしょう。
クスリのことなどこのような父に話しても意味はなく、ただ無為な家族環境を送るはめになりました。
断薬1週間が経過。また私の思い付き断薬です。
いつリバウンドするかわかりません。
こんなことの繰り返しです。
キンドリングという言葉さえ空しいものとなりました。
そう中枢神経障害。
たかがレキソタン(ブロマゼパム)とおもっています。
07年に追加され2015年に断薬したセルシン(ジアゼパム)の後遺症か?
原因薬剤不明です。
レキソタンは容認」などと何度も書いてきましたが、
やはり一旦すべて断薬しなければ、何もわかりません。
水溶液で漸減する方法がよかったのでしょう。また一気断薬の愚を犯しています。
しかしもうチンタラ抜くより、一気に抜いて福祉の力で克服する。
こうしたやり方のほうが向精神薬の本質を見据えたなら、合理的に思えるのです。
薄くなった筋肉は仕方ありません。ゆっくり進行しているようです。
しかし歩いて風呂に入り、トイレにも行けます。
このことがどれだけありがたいか。高齢福祉の現場を聞いて少し自分の持てる能力のあり難さに気づいているのです。
しかしだからこそ、断薬し、食を見直さなければならないという意識に導かれるのです。
向精神薬というものをもっと意識して見つめなおす必要があります。
「進むも地獄、戻るも地獄」なのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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