40代後半。障害者。もはや私にはレキソタンが必要なのかもしれない。
もう人生詰んだ。終わったといっていい。無理に断薬に固執するよりレキソタンやらサイレースと
いったベンゾ系向精神薬をむしろ積極的に服用し、辛さを麻痺させる。
もは廃人同然の障害年金2級で社会的地位も何もない。
苦痛で人生の残りの時間を過ごすより、薬を飲み続けた方が有意義かもしれない。
失った筋肉は返ってこないが、苦痛は緩和される。そう「終末医療」の段階だ。
これまでの減薬断薬への試みはそれはそれで良し。
今は合法麻薬のベンゾ系向精神薬を活用してもいいのではないか?
副作用が気になるが、その辺は適当。もう人生の行く末や苦悩を考えたくないのだ。
これを書いているのは4月15日(月)障害年金支給日。風邪で3日以上寝込んでようやく夕食をいつもより大目に食べ
レキソタン5mgを投入して2時間経過した後だ。(通常の夕食を食べた後にレキソタン5mg投入。
そしてカレーうどんをつくって食べた。
こういうことは珍しい。頭痛は今のところ引いている)
たまたま風邪の症状が自然治癒力で緩和されてきたのか、レキソタンが効いたのか分からないが、頭痛が引いている。
昨日せっかくAmazonに発注したルル風邪薬が届く前に風邪の症状が治りつつある。
ひたすら布団にくるまり寝込むことで風邪を治すことに成功したのかもしれない。
レキソタンも断薬できそうな勢いであったが、これを急に抜くのは危険。精神症状も肉体症状も不安定だからだ。
やはりレキソタンは私には必要物質。耐性がついているが、どこかで作用している物質である。
もう一生のみ続けた方がいいのかもしれない。2000年。レキソタンを希望とともに服用した頃20代だった。
当時の夢と思惑は見事に破れ障害者になってしまった。人生の落伍者だ。
たくさんの支援、チャンスをもらいながらこのザマである。レキソタンといったベンゾが私を錯乱させたかもしれない。
そうしういわく付きのベンゾに今や頼らなければならない。
20代はベンゾに手を出すべきでなかった、しかし40代後半で少ない貯金と年金で生きることになった今や福祉の世話になり
ベンゾ系向精神薬もしっかりのむという選択は現実的と言える。
ベンゾの薬害をいまさら騒いでも悔やんでも仕方ない。自分は、精神科の門をくぐり、ベンゾを、立ち止まりながらも、のんでしまったことは
もう人生を投げ出したことを意味するのだ。
今さら苦痛を我慢することはない。副作用と付き合いながらさまざまな向精神薬をチョイスしながらのみ続けるのも残りの人生を
有意義に過ごす方法である。
冷静に考えれば、もう自分は精神科の管轄なのである。あらがってもしかたない。
これが定めの運命なら仕方あるまい。親孝行できず、子孫も残せず、クズのような人生。
30代、出世のチャンスがあった。それを棒に振った。下らない意地の張り合い。メンタルで私が負けたのだ。
断薬したとところで過去には戻れない。もう薬を飲み続けるしか選択肢がないように思えるのである。
福祉で協力的な人間関係とパワーを授けてくれる良い出会いがあればいいのだが。
とにかく風邪の症状が今おさまっている。明日到着のルル風邪薬をのまなくても治りそうな勢いだ。
免疫が減っている、特に春先は免疫が減っている。一応風邪薬が常備しておいたほうがいいだろう。
レキソタンも風邪薬みたいなものだ。念のために飲んでおく。これから暖かくなる時期もしかすると断薬のチャンスが訪れるかもしれない。
が反対にメンタルと肉体双方でストレスに耐え切れない状況に陥るかもしれない。
もうどうしていいか分からない。たかが薬、されど薬の毎日である。
最後までお読みいただきありがとうございます
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