治らないかな

体中が痩せ「寒い寒い」と言ったら、今朝来られたヘルパーさんに
「今日は暖かいですよ」と笑われました。。
12月にしては暖かいらしいです。

全身の筋肉が削げた私にとって暖冬はあまり関係なく
衰弱=寒さとして認識されます。
これはもうどう考えても薬害です。

筋肉が萎縮して全身にこわばりがあるので体の辛さになるのです。
この辛さをとるにはレキソタンを再服用するしかないのですが、
それは一時しのぎの「麻痺」に他ならず根治とは無縁なのです。

あえてプチ断食・少食にしているのは「空腹」を感じることが脳を刺激し
治癒力に結びつくと考えているからです。

胃腸の負担も軽くなるので排泄力が高まり、排毒=デトックスにも役立ちます。

筋萎縮が止まった事例も報告されており、断食、少食の神秘的な力に奇跡的治癒を夢見るほどです。

しかし現実は、辛くて長い後遺症が続くでしょう。経済的にも貧窮にあえぐこと予想されるので
今からそうした対策を講じなければならない辛い現実もあります。

一昔前には自分一人でできていたことが他人のヘルパーさんの助けがないとできません。
ヘルパーさんのヘルプ範囲にも制限があり、どこまでも自己負担の現実がのしかかるのです。

身の回りの些細なことができない現実と過去への後悔、そして未来への不安。

あらゆる場面で責め苦がありもういっそのこと終わりにしたい衝動に何度もかられます。

今できることはヘルパーさんと話して気を紛らわすこと。そのヘルパーさんも
一筋縄ではいきません。弱者はどこまでも弱い立場にあります。

さらに全身の衰弱と弱さ、家族からの責めが襲いかかってきます。まだ筋肉という肉体があれば
苦痛を緩和できたでしょう。
その鎧が無い。

死を意識せざる得ないのです。

気を紛らわそうとシャワーをよく浴びるのですが、その時に鏡に映し出された自分の体と顔が
以前とは違うことに虚しさを覚えます。

肩幅、胸回り、胴体の筋肉がごっそり落ち、足のひざ、スネも骨ばって細くなっています。
顔つきも子供のようになってきたので、ヘルパーさんに「筋肉が落ちただろう?」と聞くほどです。

答えは「何も変わらない」という返事です。

どうやら外目にはあまりわからないようです。
普段から鏡を見て観察している自分と他人では認識が異なるようです。

ただ明らかに萎縮しています。
もしかしたら「神経」の伝達で「そう感じている」だけかもしれません。

上半身の内側がこわばっていますからその筋緊張で筋肉がよりスカスカに感じられているのかもしれません。

こうした筋肉の異常を訴えても歩けてトイレに行けて風呂に入れるのですから、健常扱いされるところが
辛い現実でもあるのです。
生殺し状態はやめてほしい。
どこかでストップしてほしいのです。

ここでもまた死を意識せざるを得ないのです。

あまりネガティブなことを書くと読者の方が引かれるかもしれませんね。

希望要素が少ないのです。あるとすれば断食・少食療法で自然治癒力にかけることです。

レキソタンも11月6から断薬しています。

これも功を奏すればいいのですが、筋萎縮という現実だけが迫ります。

肉体がほころびた分、精神面での尊厳が保たれるよう祈るばかりです。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性 2015年(40代の前半)に過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 一人暮らしなので自炊。食事の改善をはかる 現在はご飯とお味噌汁の一汁一菜の一日に食生活 障害年金と家族の支援を受けて生活しています。 先の不安を感じながらも 節約と療養に明け暮れる生活を送っています 体力の回復で何とかなると楽観 気楽にいきましょう