最低限のレキソタンで新しい人生を

朝晩寒い日が続きます

レキソタンを再服用して5日程。これまで断薬と服用を繰り返し、
苦しい日々を過ごしてきました。体力の消耗が激しく、運動量も低下したので、
レキソタン再服用でよく眠り、よく食べるようにして心身の安定をはかっています。

レキソタンが麻薬同然の麻痺作用であっても、長期に飲むべきものではないものとわかっていても、
胃痛とノドの違和感が緩和されるのなら私のとって良薬であり、しばらく続けるべき
処方薬です。

ネットでは断薬が絶対正義で私もそれに賛同していますが、個々人服用歴も家庭環境も体力も
何もかも違います。

なのでレキソタンがまだ効いてそれで家事や軽い散歩ができるのなら、今はクスリの害毒を
とやかく言わず、最低限のベンゾ=レキソタンでQOL(Quality Of Life)
の向上を図ることが総じて断薬を成功させる近道だとわかりました。

「急がば回れ」です。

苦しい日々より少しでも食べて眠れ動けることが基本です。

「そもそも薬害なのか?」

レキソタンはそれほど離脱(禁断)症状や後遺症が出にくく比較的抜きやすいベンゾだとされています。

私の2015年からの筋肉減少や皮膚異常、胃痛、ノドの違和感は薬害なのでしょうか?

薬害以外で
考えられるのは1)急激なダイエット=というより「自然に体重がどんどん減っていったのを喜んでいた状態。」

2)過労(仕事と家事、自治会を全てこなしていたこと)

3)家族との急な断絶 トラブル、即ち家庭環境の変化

この3つが挙げられます。

2015年からこの3年の期間にセルシンとレキソタンの減断薬をやったものですから、

不調は純粋なストレスによるものか?
薬害によるものか?判断が尽きかねています。

ただセルシン(ジアゼパム)に関しては有害な作用があったと思います。

レキソタン1日15mgに加えセルシン1日15mgという

カクテル過剰処方はまさに犯罪的で今でもこの処方量を内科医師や他のネット住民の方々にいうと驚かれます。

セルシン(ジアゼパム)の大幅減薬は2015年。私の意思を無視して医師が一気に減らし切っていきました。

精神科医はアシュトンマニュアルを読んでいたらしく、レキソタンから先に切ろうとしていましたが、
私個人の体験でセルシンは依存性が強く、判断力、思考力が極度に鈍くなります。

それにセルシン・ジアゼパムは、アルブミン占有率が高くタンパク質に付着するので、

直観的に危ない薬だとわかりました。

それで医師にセルシンから先に抜いていくよう頼み、セルシン減薬の方向で

指示を受けましたが、精神科医のセルシン、レキソタンの減らし方はとても雑で、
セルシンに至っては5mg玉⇒2mg玉(-3mg)と早すぎるペースで

異議を唱えたもののそのペースで減らされました。

離脱禁断症状はすさまじく、

1)大量の発汗(今と正反対です)、2)強度の胃痛(胃がんを疑ったほどです)

3)昔効いた音楽が延々と鳴り響く。などです。

こうしたセルシンの大幅減薬を2015年に家族(父)から見限られストレスと不安が最高潮の中で実践しました。

地獄でした。

死を意識するも自らの傲慢な人生への反省と元MRの父から受けていた溺愛過保護の破壊的マインドコントロール、洗脳が
徐々に解除されていく開放感が同時に私の心を占有しました。奇妙な体験でした。

一種の虚無感、空虚感とともにです。

「薬物洗脳」

薬物洗脳という言葉があります。ベンゾを疑いもなく

飲んでいたときは薬物作用と父からの洗脳で自己を喪失し、
一種の洗脳状態にありました。

それが40過ぎてベンゾ減断薬と過保護だった家族(父)からの実質、絶縁・否定で

一気に心身が錯乱状態になりました。

さらに悪いことに追い打ちをかけるように家族中から電話で罵声罵倒を浴び、心身共に酷い状態でした。

弟からも生きることを否定する
暴言(=死を仄めかす言葉」を電話で浴びせられました。これまでの付き合いは何だったのか?
単に私のお金が前提だったのです。

こうした薬物洗脳が解除される過程での家族から見限られたショック、ベンゾ離脱の苦痛と急激な
精神ショックのダブルパンチを受け、この2年半は「生ける屍」として部屋の片隅で重度の「抑うつ状態」にありました。

家は汚部屋を化して息をしているかしていないかの生死の境を彷徨いました。

お金はある程度蓄えていたので、これをいかに有益に使い、増やすか?
国民年金をいかに免除してもらうか?など社会的落伍者として生きるための情報をネットで集めました。

「金のあるうちに行動せよ!家族はあてにするな、正体をみた。見栄を捨てろ!

「身の丈!」を合言葉
に今まで判断行動してきました。

そうしている内に福祉に問題があるのはわかっていたもののあらゆる福祉制度を使うことを決意。

精神科医にも敵意を持っていましたが、今は福祉制度利用のための仕方ない措置と割り切り、

「福祉を使い倒す」
決意をしました。

セルシン後遺症とレキソタン離脱の2つの苦しさのなか、時には救急車を呼び、一人苦しみと
戦いました。

ネットで励ましてくれる方達多数。今でも御恩は忘れません。

とりわけ福祉を導入するに当たっての葛藤をネット住民の方からいただいたことは大きな力となりました。

本当に「言葉」の力は大きいです。

・2018年現在 セルシンは完全断薬したものの、筋肉減少と皮膚脆弱、胃痛とノドの違和感は残っています。

胃痛とノドの違和感は時々消失することがありますが、やはり「波」があり、
完治したとはいえません。

胃痛とノドの違和感にレキソタンが効力があり、やはりこの薬で安定を保つことが体の立て直しに必要だと
思っています。

「セルシンよりレキソタンが安全」と言い聞かせながらです。

ヘルパーさん、牡蠣を中心とした栄養療法など時間をかけて体力の充実を図っています。

レキソタンも断薬したいものの、「今は仕方ない、必要なもの、セルシン後遺症の緩和薬」として位置付けています。

何よりレキソタン服薬に対する罪悪感や恐怖感が一番よくないと思っています。薬を肯定するわけでは
ありませんが、「レキソタン程度なら心身の安定にのむべき」「家族からの断絶という
急性のストレスで副腎皮質が疲弊しているのだから、レキソタンという比較的副作用も離脱症状も少ない
ベンゾで対処すべき」

「ストレス症にはレキソタンが一番安全」と言い聞かせながら、レキソタンを再服用しています。

ベンゾでひとくくりにせず、まだ安全なベンゾ=レキソタンでセルシン後遺症、家族からの虐待、急性ストレスに
対処する。

こいう柔軟さが出てきました。

副作用による判断ミスもあるでしょうが、そこはこれまでの人生の経験則やヘルパーさんの助言で補っています。

減断薬に失敗し心身に障害を負ったものの、立ち直りへのチャンスはまだ残っていると信じています。

 

お金も重要です。

「お金とうつ症の関係」を本気で調べたいくらい、お金の有無による心身の不安や狂気など調べたいですが、
これは文学の領域。自分にはあまり向いていません。

運よく障害年金の審査に
通り年金と貯金で当面のお金の心配は少なくなりました。少し使い過ぎる傾向にあるので、食費をもう少し
減らす工夫を栄養バランスを考えながら実践する必要が出てきました。

心身不調の中、矛盾と葛藤に悩まされます。

まとめ)

不調の最大原因は1)セルシン(ジアゼパム)の後遺症。

2)家族からの洗脳と急激な虐待による家族離反、急性ストレス

3)長年の過労(仕事、家事、自治会(組織的ストーカー)

つまり薬物と洗脳、過労です。

完全に自分を見失っていました。家族からの洗脳は薬物が拍車をかけたと思います。

もともとは自分が甘かったのです。長い歳月がかかりました。

セルシン後遺症をレキソタンで抑えつつQOLの向上を以て心身の強化を計る。

薄くなった筋肉や脆くなった皮膚は地道な栄養療法(牡蠣や豚肉などの野菜炒めやスープ)

何より気の置ける人たちとの交流と会話。

病気で失ったものは大きく取り返しがつきませんが、新しく見出したものも多いです。

私は嫌いな精神医学用語で言うところの「発達障害」ADHDなのでしょう。

しかしそれは昔は「個性」でした。

今はそれが「病気」とされ不要な薬物投与の対象とされる。

反精神医療ながらもレキソタンをのみ福祉を利用する。

それが今の私の最善です。現実です。

こうした現実を理解しながらも、

1日でも穏やかに過ごしながら心身とお金の拡充をはかりたいものです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復