今から思えば、レキソタンなどベンゾジアゼピンをやめるべきは、最初の1か月以内でした。
始めて処方された後、疑いもせず服用。
その後「あれ?これ依存するのでは?」と疑問に思い、
医師に「これ止め時はいつなんですか?」と質問しました。
今から思えば、この時にやめるべきでした。
それを「病気が治れば自然に薬が
いらなくなる」と好意的に解釈したのが間違いでした。
主訴は「肩こりと不眠」でした。これでレキソタンから始まり、
セルシン(ジアゼパム)を途中追加されその後長期大量服用。
過剰処方、過沈静でした。
言動は意味不明で、目的が定まらない日常の無限ループに陥りました。
目前の作業をこなすだけでした。
こうなれば、もう完全に「依存」状態です。ネットでベンゾ依存問題の情報を勉強するまで、
減らすこともやめることもできませんでした。
途中追加されたセルシン(ジアゼパム)は断薬でしたものの、今でもレキソタンが抜けません。
一時断薬しても長続きせず、いわゆるキンドリングを起こしています。
ベンゾの後遺症なのか?副作用なのか?わからないまま筋肉減少と皮膚脆弱は続いたままです。
ただ、今年に入り少しばかり筋肉減少がストップした気がします。
皮膚脆弱は、福祉ヘルパーさんの
訪問介護を受けて自律神経が安定したのか少しばかり、マシになった気がします。
手足の先はものに触れると痛みや違和感が残ったままです。
皮膚症状はベンゾジアゼピンを服用直後の2000年頃から出ていました。
当時、疲れると、手の甲がただれたようになりました。薬による副作用が既に出ていたのです。
少し休むと
良くなるので、その当時は、あまり気にせず、そのまま服用していました。
しかし今から思えば、こうした症状が出たときにでも中止すればよかったです。
今くらいの情報網があれば、意志を強く持って簡単に抜き去ることができたはずです。
「今から思えば」
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ベンゾジアゼピンの止め時は今から思えば、たくさんあります。
それでもやめることができなかったのは、
「強い依存性」があったからにほかなりません。
10年以上飲むと、一旦断薬に成功しても、また服用するという、
いわゆるキンドリングを起こしています。毎日のように「後遺症」
と闘わなければなりません。
人にもよるでしょうが10年以上の服用は後遺症を含め完全断薬はほぼ無理です。
それでも断薬するなら、ベンゾジアゼピンの依存性や副作用の知識、情報を勉強し、
励ましあい、情報交換の場を作るべきです。
私が一人で断薬に近いところまで薬を減らせたのは、ネットにおけるそうした「交流の場」が
処方薬依存からの脱却に役立ちました。
サポートは、できれば家族が望ましいのですが、
こうした薬をのんでいる家族はあてになりません。むしろベンゾジアゼピンなどの薬を
飲んでいる家族の一人を黙認していたのですから、自らの過ちを認めることになります。
やはり自分でネットで勉強するほかありません。本当の情報はネットにしかないのです。
私のような後遺症レベルのベンゾ依存者の声も少なからずあります。
よってベンゾジアゼピンの止め時は服用直後、または途中で副作用が出始めた時、だいたい10年以内です。
10年以内だと一気断薬しても大丈夫だと自らの経験から判断しています。
10年以上になると、常用量依存が出てきます。
私の場合2013年(平成25年頃)常用量依存が出てきました。
ちょうどライブドアブログを開設したときです。
体が少しずつ痩せてくるのでおかしい?と思い始めたころです。
当時太りすぎていたのもあって丁度いいと思い食事制限まで始めていました。
2013年当時それで痩せたことは確かですが、今から思うと
奇妙な痩せ方はベンゾジアゼピンの
「常用量離脱」と呼ばれる症状だったと思います。
その後の胃炎、胃酸逆流、そして筋肉減少と続いていきました。
意識が明瞭になりながらの症状です。
内科のドクターショッピングを重ねながら、検査の連続でした。
どこも内科的には異常はなかったのですが、
内科医から暗に向精神薬の副作用を指摘されました。
さらに「精神疾患」扱いされ、「精神科との連携」を提唱されるだけでした。
重度の「抑うつ」や自律神経の異常。これらが精神科=心療内科で治るわけがありません。
むしろ悪化するだけです。
お金の算段をしながら、福祉の導入をする。全て身を託す覚悟で2017年に粛々と
身辺整理を始め現在に至ります。
福祉業者との攻防が多少あったもののヘルパー(訪問介護士)の存在によって、
抑うつ状態は緩和。自律神経も安定してきました。
これは科学では説明できません。人の力、気の力、言葉の力、表現はいろいろありますが、
こうした普段の人間関係が良好なら、あまり意識せずとも得られる、人間の力で
病気の症状は緩和するのです。
こうした薬害の症状を緩和するのは人間関係しかありません。
それも薬害に理解のある人達です。ただ看護師は医療関係者ですので、
どこまでいっても真剣ではなく、
学ぼうともしません。
医療による洗脳があるのかもしれませんが、こうした訪問看護師は、
あまりあてにならず障害年金受給の装置つまり保険のような存在です。
中にはいい人もいるでしょうが、確率的には、ヘルパーさん(訪問介護)の方がたのほうが、
柔軟で、理解のある方が多いです。
こうした人達の力を借りながら、苦痛や自律神経の乱れを緩和することができるのです。
もう少し早く福祉を導入すべきでした。これを読んで断薬を計画されている方は、
福祉も選択肢の一つに入れておくべきです。
福祉は貧困ビジネスなどのリスクが伴いますので、なるべく体力や経済力のある内に早めに導入したほうが、
優位に立てます。
断薬への道は遠いです。
後遺症レベルになるとその症状が常態化します。
精神的な乱れも出てきます。
ただここで言えるのは、自律神経や精神的な乱れは、人の力を借りることでかなり緩和されます。
薬を使わない方法が一番自然でいいのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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