レキソタン再服用でQOL向上か

レキソタンの薬効かこの数日の気温上昇による体温安定のためか、
QOLが向上しています。

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昨日は部屋の掃除、整理整頓がはかどりました。部屋だけでなく、

洗面台、風呂場の磨き掃除まで
取り組むことができました。

これは本当に珍しいことで、衰弱した筋肉、関節を気にしながらも、

作業にそれほど困難を感じませんでした。

いつもパソコンを使っている部屋は本の山でした。不要な実務書の処分に困りました。

このような中で、保存しておく本、Amazonマケプレに出品する本、
Amazonから出品を取り下げる本を選び、仕分け整理もできました。

なるべく自分の初心に返って自分に必要な本と書類を選別し、
不要な本と書類を処分する作業を5時間以上は続けました。

作業中、気温が高かったので少し汗をかいたくらいです。

今まで衰弱して簡単な部屋の掃除すらできずセルフネグレクト状態。

また汗をほとんどかかなかったこの2年間の夏場のことを
思うと、少しばかり回復しているのかもしれません。

レキソタンを再服用し、その薬効で安定しQOLの向上につながっているのかもしれません。

「服薬⇒QOLの向上⇒自己評価が高まる⇒心身の整理。」このサイクルをできつつあります。

もしこの調子でレキソタンが不要になるほど、活動的でQOLの向上が
安定化すれば、クスリによる治療が成功したといえます。

もっとも、これまでの不調は薬がもたらしてきたものですから、あまり得した気分にはなれず複雑な心境ですが・・・

それでもこれまでの重度うつ症が今現在回復途上にあることは確かで
、レキソタンの薬効である心身症の改善はほぼ達成されたと認識しています。

ただ胃の違和感、筋肉減退は小康状態でこればかりは回復するかどうか全くわかりません。

またレキソタンは麻酔前に投与する薬剤で5mg×2では少し頭がぼっとする感じがします。

それだけ薬が耐性つかずに効いている証拠なのですが、
これ以上依存すると健忘症、認知症といった知的活動にも悪影響を及ぼすので、
早めに断薬したい一心も持ち合わせています。

 

「一時的QOLの向上で基礎固め」

レキソタンで一時的にQOLを向上させる試みはこの数日の状態観察で、

ほぼ成功しているといえます。

早寝早起き、掃除洗濯料理。各種手続きなど元気だったころの

昼夜リズムと作業量に戻りつつあります。

ただこれはレキソタンによる一時的なものですので、薬効のあるうちに
家の掃除、部屋の整理整頓、不用品を捨て、日常生活をシンプルにして

身の回りをコンパクトにするなど基礎を固めたいです。

そうすればヘルパーさんに少しメンテナンス的な掃除と家事援助で簡単な

家事で家庭環境が良好なまま維持できます。

ヘルパーさんは家政婦でないので、こちらがある程度の家事をこなして

残りの僅かを手伝い、家の状態を維持、メンテナンスするレベルにまで
達しておかなければならないのです。
これは倒れ込んで心身が衰弱していた自分にとって大変なことでした。

今のレベルに達するまで、月単位、年単位で少しずつ部屋を掃除、整理しなければなりませんでした。

台所、洗面台、風呂場など水回りの掃除も
基礎的なところもようやく軌道に乗りつつあります。

ヘルパーさんは何でもやってくれずあくまでワンポイント・ヘルプ。

意外に思われるかもしれませんが、ヘルパーさんのやれることは限られているのです。

本や書類、PCなど所有物が多いので、これをいかに縮小コンパクトにして必要最小限にするかが課題です。

自宅で倒れ、寝込んでいるときは、こうした整理整頓が全くできませんでした。
それで負のスパイラルに陥っていましたが、
レキソタンの薬効で基礎的なことを整え、ヘルパーさんに手伝ってもらいました。

こうしたサイクルでQOLの向上がさらに加速度的に増え、今では良い循環ができつつあります。

気温が本格的に高くなった今がチャンスでしょう。

一時的とはいえ暖かい5~9月ごろまでの期間は、レキソタンの力を借りて家事をこなし、
機能的でコンパクトな空間をつくりそれを以って
負担の少ない生活を構築維持したいです。今がその絶好のシーズンです。

断薬にこだわるのではなく、QOLを重視し、ある程度の生活基盤が出来上がるまで薬の力を借りるの
は重要な選択肢です。

それに寝込むより家事で動いたほうが筋肉にも良い影響を与えるので一石二鳥です。

これで衰弱した筋肉が回復すればいいのですが、

気になるのは中枢神経故障説です。今くらい家事で動くことができていれば、
機能訓練となり、自然回復する道が拓けるのではないかという希望的観測を持っています。

「全体的な衰弱と失った時間」

そうして生活基盤が安定しても、過剰な薬の投与で失た時間と筋肉衰弱の現実が付きまといます。

どうあがいても過去には戻れませんし若返ることもできません。
何かををやり直すにも認知機能の低下があるのは否めず、
この点はヘルパーさんや看護師さん、作業療法士さん、

その他福祉サービス関係者の力を総合的に借りるしかありません。

「自分ひとりでは決して生きていけない。助けが必要」病に倒れ痛感しています。
しかし、これは病気でなくても健康な人にも言えることです。

かつての自分は無理が効き一人で家事負担や仕事をこなしていましたから、

傲慢になり勘違いをしていました。

愚かな男でした。本当に賢明な人は「自分の力など取るに足らないもので、
人の助け、支援、激励を必要とすること」がわかっている人です。

またそうした人の助けや支援を引き出し、うまく活用し、相手にも感謝される。
そうした相互扶助が自然にできるようにすることです。

人間社会は分業です。これを忘れて何もかも独占し、他人に干渉することは、

一時的に良くても長続きしません。

人付き合いや組織が嫌という方がほとんどですが、人間は生きていくには集団を形成し
、お互いの得意分野を以って分業し、結果として相互扶助、相互依存することが
人間社会の基本だとようやくこの年でわかり始めました。

薬害で病気になり、寝込むようになり、社会から疎外され、

家族からも地域からも疎外された障害者は社会福祉しか
人間集団を形成する場所がありません。そうした限られた厳しい現実があります。

インターネットも障害者にとって重要ななコミュニティの場で、そこでの助言にずいぶん励まされ
助けられていますが、やはり現実の生活での助けには程遠いものがあります。(読者の方々にはいつも感謝しています)

社会福祉はこうした病気で孤独で疎外された人が現実社会で最低限の生活基盤と

尊厳を守るための重要な社会装置です。

普通こういう人間社会の分業は10代20代に形成され体得されます。

しかし中年以降になってもそれが分からない人がいるのです。

つまり「世の中には不器用な人がいる」のです。一昔前なら、
良き教師、良き指導者、良き上司が人生の先輩として
分業社会への適応に導いてくれたものですが、そうした分業社会に入る直前で
道を断たれたいわゆる発達障害のような人がいるのです。

自分がそうですが、こうした「不都合な現実」を「現実」と認め、強がらず、

素直に社会福祉を受けることが(たとえ精神科経由でも)

その人の潜在能力を引き出す社会的チャンスなのです。

良いケアマネ(相談支援専門員)、ヘルパーさん、

看護師さんをコーディネートしてもらい、
障害者を支える体制を作り上げる。

これを通して人間社会の本質が見えてきます。
傲慢な自分を反省することができます。

自分にとって「何が必要で不要か」もわかってきます。

病気と福祉を通して人生観が良い方向に変わります。

あとは向精神薬のレキソタンを抜き去り、

胃と筋肉の強さが回復すればいいのですが、贅沢すぎるでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

50代男性現在、自立支援医療、障害基礎年金2級 手帳2級の社会福祉制度を利用し自宅療養中 2000年ベンゾジアゼピン服用(レキソタン、ロヒプノールなど) 2015年(40代の前半)にベンゾ常用量依存と過労で倒れ自宅療養 当時服用していたベンゾジアゼピン系薬物の害毒を知り 2019年7月3日レキソタン断薬 現在断薬5年経過  筋肉もほぼ回復