レキソタンがまだ抜けきれず、いまだ5mg玉を一日一錠服用した状態で過ごしています。
セルシンは断薬して4年(一時服用2017年なら正確には2年)経過。
個人的にはセルシン(ジアゼパム)が最も有害で筋肉減少と慢性胃炎の原因だと認識しています。
なのでレキソタンにはあまり罪は無い。そう考えて服薬への罪悪感を少なくしています。
しかし所詮「向精神薬」依存性のある薬物で精神科医に薬漬けにされ、固定資産にされたあげく人生と肉体を
破壊された事実には変わりありません。
断薬しても過去の時間と肉体が元に戻るわけではありませんが、薬漬けからの脱却への「意志」はあります。
障害福祉サービス受給も断薬のための支援ツールという位置づけです。
しかしこの私の意志が福祉事業者に伝えるのは困難です。
向精神薬を抜くにあたって一番必要なのは、「これは薬ではなく依存性のある麻薬まがいの物質である」ということを
強く認識することです。
医薬、薬、医者という概念に騙されてはいけません。精神科医、薬局、彼らも所詮「商売」でやっているのです。
単価の高いクスリを売り続けて安定収益を上げる」という経営・商売の理論からみれば、
依存性のある向精神薬は商売にうってつけで患者=客を「金ヅル」にすることができます。
毎月又は2週間に一度必ず受診して、薬を買ってくれる。これほど安定した商売はありません。
薬をつくっているメーカー=製薬会社もボロ儲けです。
一般国民・市民を薬漬け患者にして、製薬会社と医者と薬局が儲ける。
そのための法整備、宣伝、プロパガンダがなされているに過ぎないのです。
治療効果などありません。一時的に高揚させたり、鎮静させて「治った気」にさせる。
誤魔化しの薬、ペテンなのです。
現に私は2000年から19年通っています。がレキソタンはずっと処方箋のままです。
途中で睡眠薬のロヒプノール、サイレース(フルニトラゼパム)抗不安薬のセルシン(ジアゼパム)を追加され
依存してしまいました。
運悪いことに毒親からの洗脳で自宅に固定され、そこでますます自分を見失い、30代という人生の貴重な時期を失いました。
40代前半にベンゾの大幅減薬を医師の指導のもと始めたのが2015年。
胃やノドの違和感と痛み、そして全身の筋肉減少が進行し、障害者になってしまいました。
2000年にベンゾに手を出さなければ、今でも筋肉と胃の強さをたまったままの中年になっていたことでしょう。
そしtえもっと合理的判断ができ、普通に就労し家庭を築いていたでしょう。
人生の諸々の楽しみを享受できていたでしょう。
そのすべてを向精神薬が破壊してしまいました。
「自分の意思でのんだんだろう?」こう言われることも多いです。
確かにその通りです。が、違法な薬物に手を出したわけではありません。
愚かなことに効能書きを信じてのみ続けたのです。
私の父は大手製薬会社の元、MRで私のベンゾ服用を知っていました。私がベンゾに違和感を持った時に
尋ねました。すると「大丈夫」だと答えました。
2015年に減薬を始めた時には「薬を売っていたのだから、そんな薬害を今更認めるわけにはいかない」と暴言を吐かれました。
あらゆるメディアで問題視されている現状でも、向精神薬の害を認めようとしない両親。
認めると、自分たちのミスリードを認めることになるので責任回避をしているのです。
この構造は今の精神科医、薬局も同じです。彼らはむしろ居直って今でも薬を処方し、売り続けていいるのですから、
盗人猛々しい」とはこのことです。
日本では産官学による薬害犯罪が今でも野放しで続いているのです。
利益のために薬をのまされた客=患者は薬害と障害に悩みながら生活せざるを得ないのです。
せめてもの救いが障害福祉。しかしそこにも問題は多い。何より福祉を受けるために精神科医の一筆が必要になるのです。
福祉の力だけで薬害を乗り切ろうにもここでもやはり精神科医が必要となる現実。
薬物、福祉、年金、あらゆる点で精神科医に支配されてしまいました。
制度を利用するために割り切る」つもりでも、どこまでも逃れられない現実があります。
薬をのんだ自分が愚かだったのです。
普通に考えれば、麻薬まがいの薬に治療効果などありません。依存性のある麻薬まがいの薬という認識は2000年から持っていました。
それを目先の楽さに惑わされ薬をのむ、のみ続ける選択をしたのは私です。
社会的に、環境的に追い込まれてクスリに走ったという見方もできます。
しかし薬をのむ選択をしたのは自分です。
違和感も持っていました。やはり自分が愚かだったのです。
しかし、まだレキソタンを必要とします。
向精神薬の恐ろしさを認めながらも今年の春を迎えなければなりません。
いつか断薬できる日を信じています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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