のみ続ける薬ではないとわかっているけれど
レキソタンというベンゾジゼピン系の薬をのんでもう18年になります。途中セルシン(ジアゼパム)を
追加され、薬漬けにされていた時期がありました。それも3年前の大幅減薬でセルシンは断薬済み。
残るレキソタンンは余裕かと思っていました。ところが胃炎から始まり、胃痛、食欲不振そして食欲皆無。
謎の筋肉減少、皮膚脆弱とそれに伴う発汗異常。大量の発汗
その後の汗をかかなくなるという状態。
さらに筋硬直(クスリの筋弛緩作用の反対に筋肉硬直が出るのです)
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QOLの低下はすさまじく部屋は荒れ放題。現在、障害福祉サービスを受けています。
ここでレキソタン(5mg玉)は、一錠~2錠の服用又は断薬でとどまっています。
正直に言って断薬したい。そのために時折断薬していることがあります。
ベンゾ大量服用で失っていた過去を取り戻すべく、
薬に嫌悪感を示すのです。
体はもうベンゾ無しでは保てない体になっています。
こういう難し状況ですので、減薬の方法、断薬の時期を計算しています。
とはいえ肉体的基盤と
経済的基盤が不安定な中、レキソタンを完全断薬するのは非常にリスキーで
辛さと苦しさだけが残る日常が目に見えています。
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「時間薬~ブログとともに」
ベンゾジアゼピンの減薬方法、断薬情報はネットにたくさんあります。そこでは、
「時間薬」あるいは一旦戻して「ステイ」すべきという意見が多数です。
その通りです。が、禁断症状や後遺症は想像を絶する辛さです。
ベンゾジゼピンが麻薬類似物質と言われている所以です。
私の場合18年もレキソタンを服用しているので、完全断薬するには理論上、
服用年数の20年以上が必要になります。
そのころはもう高齢者です。
ならば「ある程度のレキソタンか別の薬をのみ続けた方が楽に過ごせるのではないか?」という
考えも出てきます。実際、そのようなアドバイスを受けることが多いです。
肉体的衰亡、社会的基盤を考えると、もう何もかも医療福祉の世界で
過ごすことになりました。しかし迷います。先は断定できません
。断定できない辛さ、迷いの連続。
文章に迷いは禁物にも関わらず、日常生活が迷いの連続です。
その迷い生活を反映したブログの運営は
決して楽なものではありません。
離脱禁断症状が一番酷い時期にブログを通して多くのコメントを頂き励まされ、
福祉サービスを受ける転機になりました。
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これを考えるとブログは、私にとって命の恩人。
今は収入も目的に入れてワードプレスでブログを書いていますが、
原点は「記録」目的でした。
「ブログに救われた」
「本当に死ぬのではないか?」と思うほど酷い時期がありました。
そうしたときにブログは遺言的な役割を果たし、
コメント、メッセージをお寄せくださる方は、最後の看取りと定義していました。
今でもその原点には変わりありません。お寄せくださったコメント
やメッセーで特に印象に残るものはプリントアウトし、
拝読しています。
あらゆる角度から私のことを「想像」した上での激励と忠告には、本当に頭が下がります。
ベンゾジゼピンという依存性と離脱・禁断症状の強い薬に対する社会的認知がほとんどない
孤立無援での闘病生活。
このような孤立からの解放をコメント、メッセージをお寄せ続ける方々
がいることに夢のような思いです。
こうした不幸中の幸いを受けながら今の生活レベルを維持。
それを以て「時間薬」となり得たなら本望を遂げることになります。
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「負の想念と向き合う」
苦悩、慙愧の念、戻らぬ過去への後悔。あらゆる負の感情、自責、無念の
中の生活。「QO」Lという便利な言葉でベンゾジアゼピンを肯定したり、
否定したり、全く答えが見えない状況。
必然的に哲学的な深い思索の中に埋没するのです。
ある種の仏教的諦念も必要です。精神世界。
これは私の忌み嫌うカルト教団が関与するところでも
あります。
しかし苦しい生活が長引き社会的にも不安定になって惨めさが増してくる
と宗教というのは心を鎮めます。
「宗とする教え」が宗教の元来の意味。宗教は2000年以上
の歴史があるものなら、本物です。
「精神医療という疑似科学、カルト宗教」
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この観点から、精神医療、精神薬はたかだか200年前後の歴史しかないカルト教団でしょう。
科学を装っているだけに危険です。しかも化学的に依存性がある薬を処方の名の下使っています。
よって市井のカルト教団より危険です。
依存性と禁断症状の強いクスリを治療と称して患者に飲ませ続け
金儲けをしながら、悪い意味での宗教の機能を果たしている。
それも日本の医療信仰、お医者様信仰、お薬信仰という土壌の上です。
「盗人に追い銭」(ヌスビトニオイセン)
健康な肉体と神経作用、尊厳、社会的地位、信用、信頼、時間。金銭。
あらゆる人間の尊厳と知性、動物的な能力まで奪い盗む精神科医とコメディカル達。
医療信仰とお薬信仰という日本の土壌にあぐらをかきながら、
観念論を振りかざし化学的に危険な薬を治療と称して飲ませ続ける。
それも税金を使って。税金で医療福祉牧畜ビジネスをする。
かつての奴隷制度と植民地政策モデルを日本版にコピーしたやり方。
こうした疑似医療が横行する日本。
よって日本人はどこまでも非科学的で観念論的としかいえません。
犯人の精神医療・精神科医は悪い意味での科学と宗教をを応用し、
依存症と禁断症状の強いクスリを使い続けているのですから、
史上最悪のカルト教団です。
これに抗するには患者だけでなく日本人全員が本来の意味での正しい宗教と科学の
素養を身につけるしかありません。
つまり人間の尊厳を奪う薬をのませることがはたして道義的に可能か?
これは少し良識のある人なら「否」といえるはずのものです。
科学的にも、「ベンゾジアゼピンは脳に作用する化学物質でありその依存症と禁断症状は、
麻薬並みである。」ということを認識する。
宗教と科学、主観と客観。この二つの思考法を常に意識することが、
正しい道に至る方法といえます。
しかし移り行く歳月の中で孤独に禁断症状と後遺症を過ごすに
はある種の信仰、宗教が必要になります。
それが危険な破壊的カルトでなければいいのです。
最も危険な破壊的カルトは精神医療で自分が一番はまり、
その利権のオコボレで福祉を享受し、障害年金まで受給しているので、
この点でも矛盾して何とも言えませんが・・・
「付きまとう痛み、不快感」
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日々付きまとう痛みと不快感。食欲皆無。生殖機能も実質に皆無。
本来の生の楽しみがすべて奪われた虜囚の生活。
薬害を被った者は、この世の不幸の全てを受けさせられています。
人為的な薬の投与による機能低下ですのでこれ以上残酷な拷問はありません。
これが医学の中で治療の名の下で行われているので。
ゆえに日本はマトモではありません。
日本のベンゾジアゼピン消費量は世界一という統計があります。
少子高齢化での国力低下に加え、ベンゾジアゼピンによる薬漬け。
まさに平成のアヘン戦争。日本はさしずめ19世紀清朝末期の状態で
大英帝国による麻薬アヘンを侵略対象国に売りつける植民地政策。
その毒牙にかかった清王朝の亡国の歴史を思い起こすのです。
清国(現在の中国)における中国人のアヘンによる退廃と白人イギリス人によるアヘン売りつけ奴隷貿易の横暴と侵略のい
実態をみた幕末日本は明治維新に向かいます。
亡国は薬から始まるのです。
アヘン戦争以前はその象徴。この薬による侵略の世界史はまた後日掲載したいです。
「歴史は繰り返す」
圧倒的に繰り返す。必然的に繰り返す。
今私たちは繰り返される歴史の渦中にいるのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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