物理的にも小食になってきました
これまで胃痛があっても健常者と同じくらいの量の食事をとることができていました。
それがだんだん小食になり物理的な食事量も減ってきました。
胃の周りの筋肉が刺すように痛むのです。
レキソタンを急激に減らしたのが良くありませんでした。
レキソタンの量を増やすしかありません。少しは楽になるでしょう。
しかし決して快癒に向かうのではなく常に「依存」という状態に陥ります。
これがクスリを飲むことへの大きな心理的抵抗になっています。
にっちもさっちもいかない場合は5mg玉を容赦なく放り込みます。
心のどこかでもう「この無限ループをもうやめたい」と思いながらです。
完全に割り切ってベンゾ常飲者として一生を終えるのがいいのかもしれません。
この先人生それほど長くないので断薬にこだわるよりましなのです。
それにしても悔しい人生です。自分の思いとは逆の方向に進んで自宅で自滅状態。
途中なぜ間違いに気づかなかった?という自問にベンゾジゼピンのクスリが出てきます。
ここでまた大きな心理的抵抗の壁を感じるのです。
今はもう小食になり、胃の周りの横隔膜の筋肉が薄くなり刺すような痛みがあります。
これを緩和するには麻痺系のクスリ=ベンゾジゼピンしかないという状態。
レキソタンは18年の服用歴になります。「もう一生のんでいろ」状態ですよね。
断薬したからといって過去が甦るわけでもなし。
延々と服用か?断薬か?の迷いにとらわれます。
「レキソタン単剤ならいい」という答えも持っています。
これはベンゾジゼピンに否定的でもストレス対策に最小限は容認するという理論です。
多剤でゴチャゴチャにされるよりれレキソタン単剤でストレスを緩和し以って自己治癒力を高めるというものです。
妙な解釈ですが、「ストレス」という概念に当てはめれば正しいのかもしれません。
ただそのストレス学説もインチキ医療界の産物かもしれません。
何より薬の量が増えたり、多剤の原因になるのかもしれずここでも用心が必要になります。
何を信じていいかわかりません。混乱してます。
ヘルパーさん、看護師さんには依存しながらも、
相談支援専門員との攻防もあります。
差別や虐待のない世界に生きたいものです。
精神医療がもっともその差別と虐待を生み出しているのですが・・
それも人為的に。そんなところが出すレキソタン・・・
軽いマイナー社会人向け・・・
それだけでは終わらないようです。
楽をとるか苦しみながらも決別するか。
残り少ない人生で考えさせられます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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