断薬ストレスのためかそれともストレスの蓄積か原因はよくわかりませんが、
ノドから胃にかけての痛み、ピリピリ感、胃の不調は常態化していました。
レキソタンやサイレースもほんの数日再服用したものの、26日頃から再び断薬生活です。
今度は4月を前に暖かかくなったためか、ノドから胃にかけての違和感や痛みは和らぎ、
ほんの少し食欲を取り戻しました。
家事も朝から細々精力的にやるなど、これまでの筋肉減少と皮膚脆弱をあまり感じさせない
身動きがとれるようになりました。
あまりの作業量に自らも驚いているほどで、あまり無理をして過労にならないよう配慮しています。
ベンゾジアゼピンの副作用で中枢神経に支障があったと思い込んでいた食欲中枢の異変、満腹感も空腹感もない状態で
過食又は拒食も今のところ緩和されています。
これも暖かくなってきて時間薬と温かさで中枢神経が少し正常化したのかもしれません。
それともストレス学説にあるように、副腎皮質ホルモンのバランスが正常化してきたためかもしれず、
向精神薬がらみの不調の原因は本当に判断が尽きかねます。
ストレスで思いあたるのは、1)家庭環境の急激な変化、
2)経済的圧迫、社会的ストレス3)減断薬のストレス、4)栄養失調状態などです。
これらの急激なストレスが複合的に慢性化したことによって筋肉減少と皮膚異常そしてノドから胃への違和感
と痛みに変容したとも考えられます。
家庭環境の急激な変化は「慣れ」によって耐性がついてきました。
福祉ヘルパーさんの心理的サポートも奏功したと思います。
2)の経済的圧迫は国民年金の免除と障害年金の受給決定でずいぶん緩和されたと思います。
また各種手続きが進捗するにつれたことも症状緩和の要因として挙げられます。
経済的要素は思いの他ストレスとなることを自覚しつつあります
3)のベンゾの減断薬ストレスは離脱(禁断)症状でその辛さは多くのブログやサイトで語られるところです。
4)の栄養失調状態は、料理や栄養に対する無知から生じたもので、これは最近になって知った牡蠣(かき)や海産物の
摂取によって改善されつつあります。
ベンゾによる中枢神経と複合ストレスが重なった状態が長期慢性的な不調を招いたといえるのではないでしょうか?
「時間薬」
原因がベンゾによる中枢神経にしろ、複合ストレスにしろ解決には「時間薬」が前提です。
しかしただ単に耐えていては、家事もできず家は乱れ、必要最小限の行政手続きやパソコンなど通信手段の各種設定が
できずストレスの負のスパイラルに拍車がかかり、ここでまtベンゾジアゼピン向精神薬に依存、中毒になる生活態度、
心的態度が形成され、無自覚なまま死に向かっていたでしょう。
そうした危険な状態から一年、福祉導入ちそれに伴う身辺整理や行政手続きが終わり、さらに障害年金という収入まで
確保できたことが複合ストレスで疲弊した副腎皮質が正常化し、気力と体力の向上につながったといえます。
今では中枢神経の故障より、複合ストレスによる副腎皮質ホルモンの正常化が時間の経過とともになされたと
思うようになってきました。
「春から夏にかけては完全離脱のチャンス」
気温が高くなると必然的に体温も上昇しそれを持って冷えが改善され、血流も良くなります。
それで慢性化していたノドから胃の違和感と痛みが大幅に緩和されます。
この時期、もちろんベンゾジアゼピンは服用しません。ごくまれに頓服的な服用があるかもしれませんが、
原則は断薬で食生活の改善や漢方を用いて症状を緩和。春から夏にかけて動きやすくなるので
軽い運動療法もとり入れたいです。
「家事」がすでに運動なら、既に実践していることになるので、今の調子で手足を動かしたいです。
これは運動になるだけでなく、脳にも良い影響を与え、認知症のような状態も改善されることが期待できます。
いずれにせよ去年より体力は向上しているので、この春から夏にかけての体力づくりにかかっています。
これまでの経験から、秋から冬が一番体力が消耗し、ノドや胃の違和感と痛みが増すからです。
「総合的観点からの離脱に向けて」
こらまでみてきたようにベンゾジアゼピンの離脱には大きなストレスが関係してきます。
季節的な要素も深く影響して来るので、西洋医学的な細分化した対処療法では本質を見失います。
ベンゾジアゼピンなどの向精神薬は内部環境を破壊します。酵素を減らし、ビオチンなどの栄養素の吸収を妨げます。
免疫や粘膜系統にも悪い影響を与えるので、向精神薬そのものは人体全体への破壊行為であるという
総合的観点からの離脱アプローチが肝要になってくるのがお分かりだと思います。
「ストレス」という概念も大切で、物理的ストレス、化学的ストレス、心理的ストレス、経済社会的ストレス、
などさまざまなストレス要因を一つずつ解決、緩和し、複合ストレスで疲弊した副腎皮質を正常化させるアプローチが
必要になってきます。
もしベンゾジアゼピンによる中枢神経の支障があったとしても、これら複合ストレスの緩和が
自然治癒の基礎となり、全人的な回復につながるのではないでしょうか。
また多くの時間を失っていることから精神的、宗教的土台、信仰が生活に必要になってきます。
大病は人を内省的にし、反省を促し、より違う次元の自分への進化を促すからです。
向精神薬の離脱(禁断)症状を克服することは修行をも意味するので、
ここにおいても宗教的意味合いが出てくるのです。
薬物に対する知識、精神医療の悪意を見抜きつつ、自分の中の自然治癒力を総合的に引き出す努力と
これまで薬物に溺れ失っていた真の自分を取り戻すことこそ、薬物からの決別を成功させる要因になると思います。
私はまだ途上です。体のあちこちが痛み、多くの歳月を失った喪失感と疎外感で一杯です。
政調の糧になる面があっても、虚無感が残ります。
それでも前進するしかないと日々を耐えながら過ごしています。
時間の経過とともに弱りきった内臓の修復がはかられることを期待しています。
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