毎日ブログを書くことを日課にしていますが、さすがに「ネタ」がありません。
よって自分の得意分野(政治系の歴史)をネタにすればある程度書くことができるのですが、
それではアドセンスポリシーに違反する恐れに限りなく近くなり自粛しながらの執筆です。
そもそも食欲が完全に途切れ、体の各器官の機能低下がある中(命にかかわる内臓器官は正常)、
で何かを創作するにしても今はモチベーションに欠けます。
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以前のような筋肉と胃の強さがあれば、より充実したブログライフを送ること可能です。
しかし今はそれが無い。書くことがないのなら、それを書けばいいと開き直ってこうして書いています。
しかしまたその内容はお金に換算するレベルにないことは自明で今はただ、病気の日々を過ごすのと
同じレベルで「やり過ごし」ています。
病気や薬の話題はこれまで何回も繰り返し、読者の方も飽きていることでしょうから、必要以上に体調のことを
書くのは気が引けます。
それで福祉のことを書くアイデアもあるのですが、
これも文章にして連続発表できるほどの知識はありません。
過去に少し福祉について書いたことは経験から学んだ
知識の断片で体系的な文章からは程遠いです。
6月、梅雨の時期に入りました。昨年に比べると筋肉減少が進行したものの、
家事レベルは向上し、足裏もポカポカ暖かくなりました。改善点があります。
これは回復の兆しかもしれません。ただレキソタンは抜くことができず、
今は1日5mg玉一つです。
つい最近まで5mg×2の10mgにまで増量していましたが、今は5mgでほぼ安定。
逆に5mg玉だけで眠ることができ、起床後はふらつきや、頭がぼっとした感覚があります。
まさにレキソタン5mg玉は鬼の錠剤とい言われる所以です。
筋肉が減ったためにレキソタン5mg玉が効きすぎているのかも
しれません。
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それにしても約10年以上、レキソタンだけで5mg×3回の15mgを服用し、
9年前にセルシン5mg×3を追加され
いわゆるカクテル処方で30mgものんでいたわけですから、
30代当時の私の筋力と体力は
相当なものだったと推測できます。
ただ頭の働きは極度に低下し大局的判断を見誤ったことは事実です。
自分の甘さ、周りに適切な指導者がいなかった、そうした側面を考えても、
ベンゾジアゼピン系のレキソタン、セルシンを合わせて30mgも
飲んでいたことは、まさに自滅行為で「主治医は何を考えていたのか?」今でも不思議です。
おそらく「鎮静」目的だったのでしょう。しかしそれにしても年単位の処方は異常です。
鎮静目的なら長くて1週間以内に収めるべきです。
ベンゾジアゼピンはもともと短期の緊急鎮静、麻酔のために用いる薬剤です。
それをクスリを売るため、また政治的な判断で患者に投与し続けるのは、
まさに戦前の特高警察や
アメリカやソ連の秘密警察と本質において同じなのです。
街角にある病院、クリニックでこのような政治的な薬の投与がなされているのは日本だけではないでしょうか?
いくら利益目的のためで合法とはいえ、頭のいいはずの医者ならベンゾジアゼピンの
長期大量処方と服用が何を意味するか
わかっているはずです。
わかっていないなら医師のくせに単なる無知。わかってやっていのなら、単なる確信犯。
それも優生思想に凝り固まった差別主義者です。
精神科医にはマルクス主義者もどきが多いので日本はある種の共産主義国家ともいえます。
全部の医者がそうではなくカルト教団関係者も多いので日本市民にあまり有益でない思想
団体に所属する人たちです。
彼らの考えは、患者をマルタにみたてて麻薬まがいの薬で中毒にして自院の経営の安定をはかり、
さらに関連の自らの息のかかった医療機関や福祉施設の仕事収益を増やす目的なのでしょう。
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政治目的なら90年代初頭のように山奥に一つあるくらいでいいのですが、90年代後半から
精神科=心療内科=メンタルクリニック、名前を変え
駅前をはじめ至るところに医院やクリニックが乱立している有様は金儲けに狂った
医学部生と優生思想に基づくホロコースト推進者といえます。
これが90年代後半にマスコミを籠絡し、テレビ新聞、各種出版物で
ベンゾジゼピン安全効果的の大宣伝がなされました。
反権力的なメディアでも2010年代に入るまで、反論一つも掲載することほとんどありませんでした。
当時、高利貸しや悪徳商法に対する警鐘はたくさんなされていましたが、精神医療のインチキ悪行に関しては、
精神薬の危険性や薬害に関する情報は皆無に等しいです。
革新的な政党までだんまりを決めているのはそこに福祉利権があるから。
患者の側もだんまりを決めているのは疾病利得があるからです。
障害者になった私も疾病利得のオコボレ、施しを受けているので表立って批判することは少ないです。
ですのでマスコミが巨額のお金で精神医療のプロパガンダを推進する理由もわかります。
まあ我々障害者は利得は生活のため、障害の中生きるための止む無き仕儀、それも少額にすぎないのですが、
それでも公金から負担してもらっているのは確かで悔しいながらも、ありつける利権と利得には
貪欲にならざるを得ないのです。
さらにこれは生活のためだけという目的だけでなく、医療過誤、ホロコーストに対する「反抗」目的もあります。
精神医療が化け物の如くさまざまな顔に七変化する生態を、まだ余力がある間に
「逆手」にとることによって、
このインチキ資本主義のでたらめ被害を緩和しようという志から
私の言動は発しています。
これはインターネットでの情報調査、有志との意見のやり取りから可能になりました。
薬害のこともそれに対する福祉利権利得の活用法まで、ある種の報復心に燃えながら行政手続きをし、
福祉サービスを受けています。
ただ、私のやり方に福祉業者は本能的に反発するのか、彼らのコンプレックスの何かを刺激するのかわかりませんが、
福祉サービスに多少難ありなのが残念です。
精神医療の汚いやり方に全身全霊をかけて合法的かつ戦略的に対処するのは、まさに私の中の心の闘争、
不条理な社会への闘争ととらえています。
しかし体の痛みが酷い時はこの限りではなく、福祉の利点と不満を書き綴る小市民になるのですが、
本当は、根底にこのようなインチキ薬を飲まされ利益の対象にされた医師への報復心とそれを野放し容認している
社会への抗議の意味があるのです。
福祉サービスを受け、ネットで情報発信。今できる抵抗はこの程度です。
もとは、クスリさえのまなければ、少なくとも今より健康で食を
楽しむことが出来たのです。
お金だって普通に稼ぐことができました。
障害年金まで攻撃する人(なぜか「障害者年金」と間違って表現されていますが)
物事の表面上っ面だけしか
見えていないのでしょう。
気の毒な弱者を叩くしかストレスを発散できないある意味一番哀れな人たち。
ただ憐憫の情を持つのです。
矛盾の多い資本主義社会において精神医療程、巨悪でずる賢い存在はいません。
彼らに抗するには福祉制度を利用し尽くす。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の精神で
自ら診断書のため通院を耐えながら続けているのです。
いつかそこから抜け出すという希望を持ちながら。
薬害による福祉サービスの利用。業者の多少難ありといえども、今の私にはより良い福祉サービスが必要で
待遇改善のための基礎づくりに勤しむ日常です。
時折、中枢神経の故障に絶望することもありますが、動けている間、そして食べている間は、まだ生存できると確信して
います。
精神医療だけでなく、家庭、社会に耐えがたい無念を抱えていますが、今はただ耐えるしかなく、
好機到来を待つのみです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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