「役所にかけこんで一年」
ちょうど1年前の5月12日。
障害福祉サービスを受けるために役所に飛び込んで申請してから一年になります。
ヘルパー、看護師、相談支援専門員ととう職業の方達を通じて
福祉サービスを受けるための準備をしました。
あれから一年。体調は一進一退。筋肉減少はゆっくり進んでいます。
痛みは「点」に変わりました。
意識は明瞭。先日大阪の梅田散策に出かけられるほどになりました。
当時、認知症寸前だった去年の今頃を考えると、精神面ではずいぶん
改善され、人とのつながり、人の助けが
必要だと感じました。
ただ筋肉衰弱で全身の痛みがあります。
疲労から来る痛みと原因不明(おそらく薬害)から来る痛みとともに暮らしています。
「裏切られた期待」
福祉から助けられたとはいえ、この一年を総観すると、
福祉からは期待を裏切られました。特に看護師と相談支援専門員から虐待を受け、
今これに憤りながら、別の新しい相談支援専門員と看護師に
交代して新体制がスタートしています。
体調のことにしろ福祉のことにしろ、私のブログでは一貫して「ネガティブ」、
「批判」の連続です。
やはり資本主義社会ですから、「お金」が中心で私も所詮「金づる」の患者なんだなぁ」と痛感させられました。
そこに公的支援、年金、医療福祉利権に群がる業者が出てきて福祉と資本主義という矛盾から
虐待もある意味必然なのです。
ただ、今の私には、まだ少し体力とお金が残っている。インターネットやICレコーダーなど
ハイテク小道具がが使えるという点で従来の虐待は通じません。
ここに「福祉業者との攻防」という本来あってはならない攻防戦が起こり、障害弱者となった今でも、
「福祉とは何か?」「資本主義社会とは何か?」と根源的なことを考えさせられるのです。
「虐待者は経済弱者」
福祉を利用者の視点から観察して思ったのは、福祉医療システムが税金で成り立ち、
そこには、群がる反社会勢力のような、
人達が群がっており、行政もそれを黙認しているということです。
そもそも老人や病人、障害者の世話を行政が直接するわけはなく、
補助金や助成金を出してでも民間企業に委託しているから当然と言えば当然ですが。
福祉ビジネスは、税金が収入源ですから、「取りっぱぐれ」がありません。
違法、虐待通報にさえ気をつければ、
福祉でしのぐことはできるのです。当然、世間でいう経済弱者の人達が福祉ビジネスを展開し、
さらなる弱者を搾取するという貧困ビジネスが生じてくるわけです。
そういった福祉法人、民間法人に努める従業員は過酷な労働と薄給でストレスがたまります。
そこで自分より立場の弱い障害者を虐待するのです。
それも陰湿に法律すれすれにイジメるのです。
私は相談支援専門員とそれと結託した看護師から虐待を受けました。
ヘルパーさんからさえも実は軽い虐待、=手抜きなど受けてましたが、ヘルパーさんの場合、まだ容認範囲です。
「個別観察」
相談支援専門員とそれと結託した看護師をそれぞれ観察して思ったのは、
1)まとも教育を受けていない。
2)賃金が安すぎるのに酷使されている。
3)海外では禁止されているカルト教団に所属している。
4)マルクス主義から派生した左翼思想に毒されている。
どれも困った要素ですが、福祉の従業員には、こういう人達が多いです。
虐待防止法や虐待通報センターといった法や制度が用意されていても、
教条主義的な彼らに関わると「虐待」は必ず起こります。
弱者である病人、障害者、老人が強く変わるまで、
何らかの形で虐待が付きまとう不安は払しょくできません。
「自分の力で運命を」
福祉の助けを必要としつつも、福祉をより良い待遇で受けるには、自分が強くなるしかありません。
これは何も肉体的な条件だけでなく、精神的、知的、経済的に強くなるということです。
自分でできることは何でも自分でやる。自助努力する自助の精神が肝要になります。
人の悪意や策謀を見抜く目も必要になります。
いざとなれば福祉業者を交代する判断力も要求されます。
ただでさえ人手不足の福祉業界ですので、
こちらが引き下がり我慢しなければならない点もありますが、
だからといって、こちらの権利を萎縮させるのもおかしな話で、
不正や不道徳に「そういう業界だから」とこちらが甘んじる
必要性はないのです。
ただでさえ苦しい状況を福祉業者の選別や采配にも気を配らなければなりません。
ケアマネたる相談支援専門員は、常に利用者の側に立って
公正かつ中立に福祉サービスを調整しなければならないのに、
実態は自分の息のかかった業者の側に立って利用者を言いくるめているだけです。
利用者無視のサービス遅延などの虐待さえ「普通」の現象となるのです。
こうした状況を切り抜けるには「セルフプラン」、つまりケアマネ(相談支援専門員)無しで
自分で事業所を調整する方法があります。
現にセルフプランが法的に認められていますが、
事業所の調整や更新事務など煩雑なことに振り回され、
ケアに専念できない辛さが出てきます。
それでも不当な虐待を逃れるためにはセルフプランによる福祉も考慮に入れています。
「ワムネットという福祉総合サイト」
自分で事業所を探し、自分で申請する。
今はワムネットという福祉、保険、医療の総合サイト
があります。ここで事業所検索ができるので、自分の条件にあった事業所選びができます。
訪問看護ステーションだけは検索できませんが、
ヘルパー事業所や相談支援専門員の計画相談支援事業所は検索して探すことができます。
相談支援専門員からの虐待に耐えかねた私はワムネットで計画相談支援事業所を探し、
今の相談支援専門員の交代し、ついでに訪問看護ステーション
も交代しました。
今の訪問看護ステーションは以前と比べて「今のところ」マシな方です。
交代して良かったです。結局ケアマネたる相談支援専門員次第なのですが、
私の場合「当たり」が悪かった。
「役所の職員が選んで呼んできた相談員」
ちょうど一年前、
役所の職員が一覧表の中から適当に選んで、役所からの連絡で来た相談支援専門員でした。
今から思えば、役所から計画相談支援事業所への連絡ではなく、
自分から計画相談支援事業所を探して連絡したほうが良かったのではないか?と思っています。
事業所選び一つで運命が左右される。
福祉に関してはどこまでも自分の力が要求されます。自助の精神が求められます。
本来福祉はそのようなものを求められなくて済む分野なのにおかしな話です。
日本の福祉は、弱みや弱者につけこむ集団や教団が入り込んでいて理性や常識や麻痺しているのではないか?
と疑うようになりました。
今の相談支援専門員はまだマシな方です。当然その人が呼んできた看護師もマシな方です。
「今のところ」という条件付きですが・・
「過大評価されているケアマネ オレ様ケアマネの存在とその周囲」
ケアマネ=障害者では相談支援専門員、介護保険では介護支援専門員)は過大評価されています。
初対面のヘルパーさんや看護師さんから「〇〇さん(相談支援専門員)をどこで知ったの?」
「〇〇さん(相談支援専門員)が配慮してくださった」という言葉を聞いても明らかです。
私は制度や法律を知っているので、「相談支援専門員は利潤追求と
当然のことを福祉業務としてしただけ」で、
なにも私のことを特別個人的に心配して「配慮してもらった」という感覚はありません。
むしろ「自分を過大評価させよう」、「感謝させよう」という「強引さ」が
相談支援専門員とその人を崇拝するヘルパーや
看護師の言葉で分かりました。
いわゆる「オレ様ケアマネ」と呼ばれる存在です。
ケアマネがそれ相応の実力が伴っていたらまだ許せるのですが、
1基本的法律のことも制度のこともよく分かっていない(後付け 後知恵で正当化)、
2)上司からの指示待ち、3)一般教養レベルが著しく低い、4)インターネットを使えない。
こういう条件が揃うとダメですね。
利用者にストレスと軋轢が増すばかりで虐待は必然、決裂は当然の帰結だったといえます。
表には出ないものの、福祉にはこういう「オレ様ケアマネ」に苦しめられている人達はたくさんいるはずです。
オレ様ケアマネに自分勝手なスタンドプレーの好きな女性達(ヘルパー、看護師)・・・
こうなると弱者は弱り目に祟り目です。
本来、福祉に従事してはならない人達の人格と教養レベルの低さが虐待を招くという点もお出てきます。
精神障害のレッテルをはられたとはいえ、
学を志した一人間としてこのようなケアマネや看護師の存在は
耐えられませんでした。
「オレ様」としての存在が欲しい相談支援専門員。
看護資格という実務レベルの知識で全知全能を司る神を演じようとする看護師。
彼らに不足しているのは、人格形成教育です。一般教養といってもいいでしょう。
試験には出ない知性、教養というものが彼らには足りていないのです。
これは福祉だけでなく、日本社会全般において言えることなのですが、
こういう一般教養、試験で計れない知性の低さも虐待の要因として挙げられます。
経済至上主義の今の日本が彼らのような存在を生んだのでしょうが、
これでは、弱者はたまったものではありません。
福祉業界の待遇改善とそこに従事する人達の教養レベル、人格形成が急がれるのではないでしょうか。
障害福祉の世界に利用者として入って一年。
徒然なる感想です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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