やはりレキソタンは欠かせないようで、
毎夕食後に5mgのんでいます。
本当は朝にも5mg1錠飲んだ方がいいのかもしれません。
ここまで来れば、もう朝夕2回も視野に入れています。
筋肉減少は固定化しています。
サルコペニアという病気ではないか?と疑っています。
いずれにしろ、筋肉が急速に減ったことは確かで、
原因不明の胃の不調が続いています。
断薬してもおそらくなおらないでしょう。
「意識と頭脳はやや明瞭。」
肉体が衰弱する一方、意識と頭脳は比較的明瞭。
心は謙虚。
これだけが改善点です。(多少記憶力が低下しましたが)
6月17日現在、レキソタンの調整でまだ迷いがあります。
今後が不安ですので、社会的になるべく頼れるところを多く作っておきたいです。
「自助」が原則ですが、福祉、医療らゆるこころに助けを求める態勢をとっています。
とはいえ医療に関してはケアマネたる相談支援専門員の質の低下、看護師のレベルの低さ
を経験して、非常に猜疑的であまり関わりたくないのが本音です。
実際彼らはあまり役に立ちません。
「相談支援専門員」は制度上、何かあったときの第三者的証明機関として位置付け。
「看護師」は、障害認定と障害年金のための装置と位置付けています。
こういうもののとらえ方は不健全かもしれませんが、こちらはケアを受ける身。
本当はもっと法律と福祉マインドを身に着けてもらいたい。それを現段階では要求しないのですから、
私の位置づけを「あり難く思ってもらいたい」(少し傲岸不遜ですが、福祉医療に対しては権利主張してもいい)
そもそも福祉を受けるという今の境遇はベンゾジアゼピンを盲信した愚かさから来ました。
私は西洋医学を盲信したバカ者の一人です。
普通に考えると、西洋医学が効果的なのは外科的なものだけで、
慢性病や内科的疾患に西洋薬は効果がないどころか有害なのは自明です。
精神医療に至っては失敗の歴史しかなく、成功した事例はありません。
もっとも「政治的沈静」、「抑制」といった政治的目的なら成功したといっていいでしょうが、
医学の上では成功していません。
精神医療、向精神薬はもともと医学目的ではなく政治目的なのです。
この点しっかりと覚えておく必要があります。
そもそもベンゾジアゼピン依存は過度の医療信仰からもたらされました。
多くの方がそうだと思います。
今では完全に詐欺だとわかっていても、その詐欺医療に頼るしかありません。
福祉医療、医療福祉、自分の権利を主張確保しながら、制度を利用するための方便が
悲しいかな「精神科医の一筆」で、このために通院しなければなりません。
もちろん薬は最小限、私ならレキソタンのためでしょう。
「向精神薬は諸悪の根源」
ベンゾジアゼピンなどの精神薬は脳の機能を低下させ、判断を鈍らせ、飲んでいる本人も
家族にも不幸をもたらします。医療盲信の愚かさの果てとはいえ残酷すぎます。
こうした薬に頼らない生活の知恵というのが今の日本では、マスコミの流す宣伝広告によってかき消されて
被害を拡大しています。
本当に災難をもたらす向精神薬。
完全に抜き去ることができず、障害福祉の身。
迫りくる貧困。
この年でこんなことになるとは、夢にも思わず。
薬に依存している時は完全に医療洗脳、毒親に洗脳され本来の自分を見失っていました。
障害福祉を受けヘルパーさんんとの交流から自分の人生を見つめなおすことができています。
こういう方々に健康な時にお会いしたかったという悔しさがあります。
6月、梅雨の晴れ間、時折暑さで呼吸が苦しくなることもあります。
本格的な夏にはどうなるか、少しばかり不安です。
断薬は半分あきらめています。レキソタン単剤ですからすぐ抜けそうなものを、
数年以上、レキソタン5mg玉での一進一退が続いています。
胃の不調は漢方で緩和されそうなので漢方もとり入れ、胃の周りの不調を緩和していきたい。
漢方より和の薬と言われる「お茶」にも目をつけています。
お茶は、もともと薬草だそうです。本来の「薬」という漢字の意味は
西洋薬ではなく、漢方、食養生を前提としたものです。
19世紀、日本は欧米列強の植民地支配の危機に接し、
近代化するにあたりこうした漢方や東洋の知恵を軽視又は否定してきた歴史があります。
そのため欧米植民地列強支配を受けることなく有色人種の中で唯一近
代化に成功しました。
これは良いことですが、一方で東洋の知恵を軽視。「西洋の野蛮」を見抜くことができず、
いわゆる西洋かぶれ(意識するにせよ、しないにせよ)になり、挙句の果てに
現代日本人の医療信仰、お医者様信仰につながりました。
危険な向精神薬を肯定すつといった「本末転倒」に気づかず、
物事を進めているのです。
これは本当に愚かしいことです。
我々患者の側が気づいてこうした医療から脱却するしかありません。
最小限の薬と制度のための通院は仕方なく受け入れるとして・・・
しかし、そのレキソタンも今ではあまり効かなくなってきました。
いわゆる耐性ができてきました。
筋肉減少で関節回りのクッションが少なくなり、動くことの自由が少なくなってきました。
食事レベルが去年に比べ完全に低下。何を食べるべきかという自信も少なくなりました。
「依存の果てに」
完全に依存の成れの果てです。
昨年より精神症状がマシになったのと正反対に肉体は虚弱劣化。
まるで子供のようです。
(肉体と精神を分ける心身二元論も実は西洋医学の概念であまり好ましくありませんが・・)
筋肉が減りみっともない体になりましたが、今の自分を受け入れるしかありません。
抜け殻のような空虚感、虚脱感に襲われ、薄くなった筋肉がその感情をより倍化させます。
気分を鎮めるために緑茶をのんでいます。
これで良かったのです。日常の「お茶」。何も危険な薬を保険で買うことはなかったのです。
自分の愚かしさは日本人の持つ脱亜入欧の負の遺産とも言えるのです。
向精神薬の場合、依存性(中毒?)と離脱禁断症状、後遺症がこの世のものとは思えない
苦痛ですので、単に自己反省では済まない極限的な精神状態が続きます。
同時に東洋の持つ自然と一つになる価値観が漠然としながら理解できるようになりました。
レキソタンから始まった向精神薬依存。
引き続きレキソタン単剤で終えたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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