ベンゾ離脱 慢性化した症状

「西日本豪雨の中で」

雨が降っています。病床のある部屋の外からコンコンと雨に打たれる
空き缶の音が響いているのが聞こえます。

後遺症が長引き倒れてから3年の歳月を同じ病床で過ごしてきました。

離脱症状の初期にあった精神的錯乱に近い状態は落ち着いたものの、

肉体は朽ち、今は食欲さえありません。
当時楽観視していた離脱後遺症の闘いは痩せた筋肉と貧窮化する生活の中で、

現実の厳しさに移り変わり、ただ茫然自失とするのです。

ベンゾジアゼピン服用で脱抑制状態にあった中から
減薬で理性を取り戻す過程は健全さを感じる一方、
その間に失ったものの多さに気づかれ、ここでまた落胆するのです。

向精神薬の破壊性を教科書的に学んでいても、クスリの罠にはまった自分の愚かしさに気づかされるのです。

普通に冷静に考えれば、医師の処方するクスリであってもそれが脳に作用するのなら、嫌厭するのが、
通常の賢明な社会人の発想です。

どこでどう間違ったのか?新聞や雑誌の記事の心の病気キャンペーンに
思えば80年代後半から影響され、

どこか警戒するにしても、90年代後半、「ベンゾジアゼピン ストレス 特効薬」
の単行本記事に影響され、
自ら心療内科に赴いた愚。

はじめてレキソタンをのむ前に「これをのむと後戻りできなくなるのでは?」
「抜くときどうするんですか?先生?」
という問いかけが正しかったことを思い出すのです。

それが正しかった。レキソタンに依存してから奇行が多くなった。全て薬のせいにしたくありませんが、
明らかにその後の奇行や言動の異常は薬によってもたらされたのは間違いないく、

さまざまな方達がネットや本で書かれていた反精神医療の文章が正しかったと思い知らされます。

<スポンサーリンク>



クスリでは元気になりません。ただそのような気分になっただけで、
後で後遺症と深い後悔の念を招くのです。

家族からの信用も失い、何もかも失った状態で自らの愚かしかさと運命を呪うのです。

もう何も後戻りできません。

苦しさのあまりまた服用するという無限ループの中で、迫りくる肉体症状、精神症状と闘わねばならないのです。

このような苦労をするのなら、はじめからクスリをのむべきではなかったと深く反省するのです。

「何かフレッシュな話題は?」

毎日毎日同じことの繰り返しをブツクサ書くしかない日常。何か新しい刺激、
症状の緩和、好転を求めていても筋委縮は進み、食欲が途切れたまま固定化され、

どうしようもありません。何十年も同じ場所で過ごしてきたとは思えない空虚感、虚しさが漂います。

これはクスリのせいでもありますが、やはり家庭環境。親からの過度の期待と洗脳。

これにより本来の自分を見失っていたとしかいえません。

厳しい方なら「本来の自分なんてない、まだ甘い。そんなもの幻想。正当化するな」とお叱りを受けそうですが、

ことクスリと洗脳に関しては自己喪失が存在すると言いきれるのではないでしょうか?

クスリにしろ、毒親にしろその対象を目的のために「洗脳」しているですから。

こればかりは被害者です。被害者の概念を消さなければならないというのは今の私には厳しすぎる条件です。

症状の苦しさだけでなく、アイデンティティーにおける苦しさも同時に運んでくる向精神薬。

脳に作用するから当然といえば当然ですが、それにしても高すぎる代償です。

「どうすれば解放されるのか?」

毎日考えるのはこの一点です。

それにしても自分が自分でないような痩せた体と胃の不具合。

楽観視していた減断薬は日を追うごとにさまざまな不調を運んできました。

家族からの見限りという最もショッキングなことが重なったのもタイミングが悪すぎます。

福祉に期待を寄せるもそこも低レベルな人材でケアの妨げになりました。

日本には日本人男性の権利があまりない。福祉といえば高齢者という固定観念が福祉事業者にまで広まっています。

これはマスコミの印象操作が大きな原因の一つです。

福祉を軽視している人はこれからどうするんでしょうかね?一番身近に税金と政治の動きが反映されるところです。

無関心でいたり、弱者を叩いて不満解消している場合ではないと思うのですが、

この点想像力の欠けた人達が多いと思います。

結局一人では生きられない。しかし家族にも問題があるし、限界がある。

自らの相互扶助、福祉体制を早くから構築しておくべきと思うのですが、

弱者の声など反映されるわけもありません。

それにしても苦しい後遺症。

「なぜ自分だけが・・?」さらにまた福祉にも問題がある。

この国には根本的な何かが欠落しているように思うのです。

皆「主観」の度合いが強すぎます。そのくせ立ち位置を考えるずる賢さだけはある。

これでは真に創造的で個性的な人は伸びず、国力を低下させているように思えるのです。

資本主義社会のずる賢さの象徴は精神科医でしょう。初歩的な詐欺のテクニックを用いますが、
その代償はクスリの後遺症。

あまりにむご過ぎます。そこからさらに福祉に翻弄される辛さもあり、体力と知力、
経済力がなければ福祉さえ危ないというのが我が国の実情です。

また今日もこんな感じです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

<スポンサーリンク>



2 件のコメント

  • どのくらいの量飲んでいたのですか?どのくらいの期間
    私は10年です。今から断薬開始します。怖いです。

    • >そらさん こんにちは。

      ベンゾジアゼピンは19年 のんでいました。
      最初(2000年~2006年)はレキソタン5mg×3 ロヒプノール

       2007年からセルシン5mg×3とレキソタン5mg×3 一日合計30mg.

      https://atblog.biz/history/

      2015年に減薬開始 

       レキソタン単剤化成功

      2019年 7月3日 レキソタン断薬

      現在も断薬継続中です。慎重に減薬されたら大丈夫だと思います。筋肉が強ばるので鍼灸(しんきゅう)おススメします。

  • そら へ返信する コメントをキャンセル

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA


    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

    ABOUTこの記事をかいた人

    近畿在住。50代男性。 ベンゾゾジアゼピン系薬剤で薬害を被りました。 2019年7月3から断薬開始 断薬に関する書籍、ネット上の知識、激励そして鍼灸治療(訪問)のお陰で断薬に成功。 現在薬はまったくのんでいません。 断薬生活を機に食生活を見直しました。 日々の料理記録から断薬成功に必要な「思想」を読み取って ください 断薬に必要なのは小手先のテクニックではなく 生命や社会に対する思想が重要になるからです。 思想は料理に反映されます 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に しています。 お米はたくさん食べています。 世間で喧伝されているような糖質など一切問題ありません。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せ(衰弱)に襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 現在断薬4年を経過 2023年8月3日時点