全身の強張りに耐えながら故人を偲ぶ

ベンゾジアゼピン2種類の離脱禁断症状、後遺症で全身の強張りが酷い状態です。

最初は、2015年頃、胃酸逆流の形で胃に現れました。胃カメラをするも異常なし。

これが3回続きました。救急車もよんだことがあります。

その後、筋肉減少とともに、胃の周りの筋肉がしばられるようになり、汗が少なくなりました。
その後胃酸逆流は治まりましたが、
体内から水分が枯渇し、口渇(ドライマウス)になり大量の水を飲むようになりました。
今も続いており、きわめて不自然な日々を送っています。

医師はもちろん、他人の理解など得られず一人苦しみ悩んでいます。

あまりの苦しさに「宗教的な罰が当たったのか?」と内省すること多いです。

また宗教的な人達からネット上で罵声に近い言葉を浴びたこともあり、
深く傷ついたことを覚えています。

言動も相当混乱していたようで、ヘルパーさんから2017年の福祉導入初期の頃、
「ずいぶん言動が乱れていた」
という話を聞かされました。

クスリを減らしやめても、言動がおかしい状態が続いていたようです。

今も決して正しい言動をとっているとは思いませんが、減断薬と福祉ヘルパーになれて
落ち着きを取り戻すたびに言動も落ち着きを取り戻してきたようです。

ベンゾは筋硬直、筋萎縮などの肉体症状はもちろん、言動がおかしくなるという精神的諸症状が
離脱期に出て、それが抑うつなど精神疾患扱いされ
さらなる投薬の対象とされることは、本当に悔しいです。

2015年からの減薬開始から今日まで上記のように振り返ることが多いです。

この間、大好きだった祖父を亡くしました。昨年2017年2月です。
当時の私は離脱症状が酷く半狂乱の状態で毎朝、救急車を呼ぶことを考えていました。

当然、葬儀に駆けつけることはできず、他の兄弟、親戚からそして両親から軽蔑された事は、
私を一番かわいがってくれた祖父の葬儀だけに無念です。

私は20年前の20代の頃まで一人で祖父宅へ帰り、力強く将来を語り、
孝行を誓ったものです。

それが2000年 18年前にレキソタンをのんだ頃から少しずつ私の言動が易怒的になり、
幼児退行状態に陥りやすくなりました。

ベンゾとともに父の手厚い経済サポートで甘やかされた私は増長し、家族の大金を自分のつまらない
見栄のために浪費し始めました。

ベンゾジアゼピンをたくさん飲んでいた頃ですから、クスリの影響だと確信しています。

もちろん私の性格もあったでしょう。甘えもあったでしょう。

しかしレキソタンやロヒプノールを常飲していた私の言動はおかしなものだったと振り返ることできます。

クスリが抜けてきた今日、クスリをのんでいなかった20代の記憶が鮮やかに甦ります。

また喪失感に打ちひしがれます。

クスリが全ての原因だと思いませんが、自らに不利なことを惰性的に続けてきた背景には
ベンゾジアゼピンという薬物が多いに関わっていることは、その薬理から明らかです。

今私は、とても辛い肉体症状と、過去の大きな過ち、そして故人となった祖父を偲び
慙愧の念に耐えられません。

薬物に人生を破壊されました。深い反省と悲しみの日々です。

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ABOUTこの記事をかいた人

近畿在住。50代男性。 ベンゾゾジアゼピン系薬剤で薬害を被りました。 2019年7月3から断薬開始 断薬に関する書籍、ネット上の知識、激励そして鍼灸治療(訪問)のお陰で断薬に成功。 現在薬はまったくのんでいません。 断薬生活を機に食生活を見直しました。 日々の料理記録から断薬成功に必要な「思想」を読み取って ください 断薬に必要なのは小手先のテクニックではなく 生命や社会に対する思想が重要になるからです。 思想は料理に反映されます 「医食同源」の立場から砂糖や添加物を除いた料理記事を中心に しています。 お米はたくさん食べています。 世間で喧伝されているような糖質など一切問題ありません。 (ベンゾ服薬歴) 2000年 レキソタンからベンゾ開始。 以降ベンゾ系の睡眠薬を服用。 2007年レキソタン(ブロマゼパム)、セルシン(ジアゼパム)の2種類を カクテル処方され、2015年まで8年長期服用。 2015年から大幅な減断薬開始。 猛烈な胃痛と痩せ(衰弱)に襲われ 筋萎縮の後遺症に陥り現在も療養中です。 現在断薬4年を経過 2023年8月3日時点